高松での仕事が終わり、翌日は名古屋で仕事があったので、岡山から津山に移動して一泊し、翌日名古屋に向かうという遠回りな計画を立てました。
津山といえば古代から開けた美作地方の中心地で、私は何度か通過したことはあるのですが、泊まるのは初めて。古い城下町でもあり、例の「八つ墓村」の話もちょっとは頭にあり、前からなんとなく気になる土地でした。
宿は登録有形文化財になっているあけぼの旅館。事前に予約してありました。ゆっくり滞在すれば見どころの多い街だと思いますが、今回は夜に到着して一泊するだけなので、本当はこんないい宿でなくてもよかったのですが、やはり伝統旅館の魅力に惹かれて予約しました。
岡山から津山線に乗り換えて津山駅到着。駅前の雰囲気はかなりの都会です。記憶が定かではないのですが、たぶんタクシーで宿まで行ったような気がします。
とにかく中に入って部屋に通してもらいました。玄関付近からして、伝統を感じるたたずまい。
部屋にはすでにふとんが敷いてありました。
この日は素泊まりで頼んでいたので、すぐに食事をする店探しに出かけました。
駅からやや離れたエリアですが、けっこう大きなアーケード商店街がありました。駅前にも商店街がありましたが、やはりかなり大きな街のように感じます。この時は夜なのでほとんど人が歩いていません。
商店街をだいぶいったところに、私が好きな感じのラーメン屋を発見。除いてみると、テーブルの上でメニュー札の手書き作業などをしていたので、営業時間外かと思いましたが、普通に入れてくれました。
なんとなく長居をしてビールなどを飲む雰囲気でもなかったので、ここは普通のラーメンを注文。シンプルなオーソドックス系ラーメンでした。
そのあと、ちょっと物足りないので居酒屋でもないかと宿に戻る途中を探索していくと、またもラーメン屋を発見。ここではラーメンを食べず、ちょっとビールを飲んで帰りました。
宿に到着。
もう遅いのでお風呂に入って寝ました。ほかのお客さんがいたのかどうか、翌日まで誰とも会うことはなく、独占したような気分で一泊。
翌朝もかなり早く出たのですが、女将さんが見送りに出てきてくれたので「この宿はだいぶ古いんですか」と聞いてみました。
すると、よくお客さんからそういうことを聞かれ慣れているみたいで、明治初期の建物が元になっているというような話を教えてくれ、「興味があるなら奥にも襖絵がありますからちょっと見ていきますか」といってくれました。
もともと名旅館らしき格式が感じられる宿でしたが、奥に回るとすごい襖絵などもあり、中庭なども凝っています。女将さんとはゆっくり話す時間がありませんでしたが、ろくな知識もないまま、貴重な旅館に泊まることができたのは、ほんとうに幸運でした。
宿を出て、駅まではやや遠いものの、歩いてみることにしました。やはり歴史を感じる町並みが随所に残っています。
古い旅館も発見。「旅館お多福」。この宿はかなり惹かれました。次に津山に来るならできれば泊まってみたい。こういう宿が普通にあるということが、歴史のある街の個性でしょう。私自身は生まれ育った土地が江戸時代末期に開発された新開地なので、とにかくこういう歴史を感じる風情に魅力を感じてしまいます。
途中、吉井川という川を渡る今津屋橋を通過。大きな商店街も通りました。
駅に到着。
津山は幕末の蘭学者・箕作阮甫先生の出身地のようで、銅像がありました。
駅には有名なのかどうかわかりませんが、扇型機関車庫の模型を発見。
この日は午後に名古屋に行く必要があり、いろいろ考えたのですが、結局高速バスが関西方面に出ていることを発見したので、岡山まで戻らずバスに乗ることにしました。
まだ20代の時にこのへんをバイクで通った時に強烈な雷雨にあって、湯郷温泉に急きょ泊まることになり、宿の人々にすごく親切にしてもらったことがありました。中国道を走るバスの中で、そんなことをふと思い出しました。
「こんな天気じゃバイクは無理でしょ。早く部屋で温まりなさい」と、びしょ濡れの私をタオルで拭いてくれたりしてくれた、あの時のおばちゃんたちは元気にしているのでしょうか。旅先のそんな経験が今の私の旅好きにつながっています。そんなことを思いながら、心残りの津山を後にしました。
「こんな天気じゃバイクは無理でしょ。早く部屋で温まりなさい」と、びしょ濡れの私をタオルで拭いてくれたりしてくれた、あの時のおばちゃんたちは元気にしているのでしょうか。旅先のそんな経験が今の私の旅好きにつながっています。そんなことを思いながら、心残りの津山を後にしました。
[あけぼの旅館](2014年11月宿泊)
■所在地 岡山県津山市戸川町31