戸畑 いくよ旅館の続きです。
いよいよいくよ旅館に入ってみます。玄関前はこんな感じ。意外に広くてすっきりしていて、奥の庭に面してソファーが置いてありました。
声をかけるとご主人らしきおっちゃんが出てきて、「部屋は2階ですからどうぞ」と案内してくれました。こういう古い宿は、客をごく自然に暖かく迎えてくれるのがいいです。
上がっていくと2階の廊下からしてすばらしい造りです。
私が「すごく立派な宿ですね~。もう何年くらいたつんですか」と聞くと「だいたい100年。もうやめようかと思ってるんだ」といいます。「いや、こんないい宿をやめるなんてもったいない。何とか続けてください」と私はいいましたが、戸畑というエリア自体が、大手企業の工場などが集まった最盛期と比べると衰退していて、経営的に苦しいのかもしれません。
ご主人に「さて、これからすぐお風呂に入りますか」と聞かれて、確かに暑い日で汗はかいていたわけですが、お風呂に入ると食事に出かけるのが面倒になるので、「少し休んだら食事に行ってきます。それからお風呂に入りますが、いいですか」と答えました。
ご主人は「かまいません。お風呂も一回入って、また食事の後入ってもかまいませんよ。お好きなように。食事は駅の反対側に行ったほうがいいですよ」ということでした。
私は部屋で少し休んでから、食事に出かけることにしました。テレビではまだ高校野球。
しかし凝った造りの部屋です。部屋から入口方面を見るとこんな感じ。ゆったりとした豪華な造り。
部屋の天井も高く、照明器具も100年前とは思えないゴージャスさ。壁の透かしなども昔の旅館らしくてすごくいい雰囲気です。
部屋にトイレがあるのですが、ちょっと奥のほうに行ってみると、洗面台は超近代化された瀟洒な造りになっていて、さらに奥には洗浄便座付きトイレもありました。古い宿の水回りがリフォームされていると、私はちょっと残念な気もします。しかし使い勝手としては新しいほうが完全に優れているのは確か。
渡り廊下の向こうにも棟が見えました。こちらも客室なのかどうかはわかりませんでした。
「食事に行ってきます」と玄関で声をかけて外に出ました。まだ明るいです。玄関とは逆方向の海側から見た「いくよ旅館」。けっこう敷地も広いように見えます。
駅の反対側にいく前に、ちょっと付近を歩いてみました。このへんの住居表示は戸畑区南鳥旗(みなみとりはた)という町になっていますが、「とりはた」という地名は「とばた」と関係があるのでしょうか。何かいわれのありそうな古そうな地名です。
いくよ旅館のすぐ前に「藤之家」発見。これは営業しているかどうかは確認できませんでした。
路地奥に若戸大橋。この橋ができたのは1962年だそうですが、こんなのができた時、このへんに住んでいる人にとっては衝撃的な風景の変化だったのではないでしょうか。それとも、町の発展への期待感でいっぱいだったのかもしれません。
さて地下道を通って駅の反対側に出ると、駅前はありきたりの商業ビルが隣接していて、あまりおもしろくなさそうだったので、少し奥の商店街に行ってみるこにしました。
適当に歩いて路地を入っていくと、なかなか渋い感じの通りが続きます。
大きなアーケード街がありました。しかしほとんど店が閉まっていて、人通りも少ないです。
同じビルの正面にあったお寿司屋さんに入ることにしました。考えてみれば、北九州でお寿司を食べるというのも、ちょっと変わったネタがあっておもしろいかもしれないと思ったのです。
店内に入ると主人が一人で握っていて、常連らしき客が2人。一斉にこっちを振り向きました。
私はまったく初めて訪問する店なので、謙虚にカウンターの末席に座り、寿司ネタについてもあれこれいわず、ご主人にまかせて一人前握ってもらいました。
そんなに変わったネタもなかったですが、味付けした貝などのネタも多く、「醤油をつけないで食べてみてください」といわれたやつはなかなか良かった。
全体的に上品でかなりおいしい店でした。しかも安かった。最後にお椀付き。私は一人前を食べる間に生ビールを3杯も飲みました。
店を出て路地を抜けてみると、大通りにはそれなに飲食店もありました。
途中、立ち飲みでもあったら寄ってみようかと思って歩きましたが、見つけられませんでした。ラーメン屋もあってすごく惹かれたのですが、考えてみればすでにこの日はラーメン2杯食っているのでやめておきました。
すっかり暗くなった駅前。地域のカラーをだいなしにする存在「イ〇ン」もあります。
お風呂に入るのが遅くなるのも悪いので、おとなしく宿に帰りました。「帰りました~」といって入ると、「お帰りなさい。いい店がありましたか」と聞かれて、「すごくうまい寿司屋がありました。でも駅前は立派ですかけど、奥の商店街はけっこう寂れていますね」などは少し話をしたのですが、内容はいまいち覚えていません。「お風呂に入ります」といって2階の部屋に戻りました。
お風呂は廊下奥の1階にあり、こんな感じ。岩風呂風の壁を配した大きな風呂で、湯船も深く大きい。このへんをみても、昔はかなりの高級旅館だったことがわかります。
私は知らない宿にいくと自分の家以上によく眠ってしまうたちなので、朝の目覚めも快調。今回素泊まりなので早めに出て、どこかで何か食べようかと思っていました。
荷物をまとめて階下の玄関へ。
玄関で声をかけても誰も出てこないので、奥の台所のほうまでいって声をかけると若い女性が気づいてくれて、玄関脇の部屋のばあちゃんを呼びました。ばあちゃんは私の声が聞こえなかったようです。
料金を払いつつ、宿の造りが凝っているのでもしかしたら以前は遊廓だったのかとも思い「この家は創業の時から旅館ですか」と聞いてみると、ばあちゃんが「そう、最初から旅館です。昔はずいぶんにぎわった宿でした」ということでした。
ばあちゃんは「新日鉄だけじゃなく、日本水産や明治製菓なんか、工場もたくさんあって、にぎやかでした。歌手や俳優、関取なんかもずいぶんうちに泊まったんですよ」といって、宿の壁にかけてある色紙を指さします。見ると、私はそれまで気づかなかったのですが大鵬の手形もありました。すごい。
おそらくこのへんでも一番のいい宿で、著名人が来るとしたらここに泊まっていたというわけでしょう。昨今なら当然高級ホテルに泊まるところでしょうが。
若い女性のほうが「いつも仕事であちこち回っていらっしゃるんですか」と聞いてきたのですが、正直に「ボロ宿ばかり狙って泊まっている」といえず、「いや~、まあ、そんな感じでしょうか‥」などと言葉を濁してきました。
とにかくすごくいい宿でしたが、後継者の問題もあるのかもしれません。何とか繁盛してほしいと思うばかりです。
この日の計画は昨夜のうちに決まっていました。仕事上、お昼過ぎに小倉駅に行く必要があるので、午前中は渡船で若松に渡って、レトロビルを見学し、若松駅経由で小倉に向かうというものです。
そういうわけで、渡船場に向けて歩きだしました。途中に魅惑の飲食店街もありました。駅の向こうにいかず、ここらで飲んでも良かったかな、と思いました。
このラーメン屋はちゃんぽんが有名だそうで、都合があえばいきたい店だったのです。今回は見るだけ。
渡船場は宿から歩いてすぐで、若戸大橋がますます大きく眼前に迫ってきます。
船室は周囲にベンチがあり、中央は広いスペースになっています。
このへんは近代化遺産ともいうべき物件が残るエリアだそうで、渡船場のすぐ近くに上野海運のビル(旧三菱合資若松支店)が。少し歩くと旧古河鉱業若松ビルがありました。レンガ造りの立派な建築で、これはたぶん有名なビルでしょう。中も見学できるようでしたが、時間的にオープン前でした。
そしてついに橋脚のひとつの足元に到着。遠くから見た感じよりかなりでかい。
このへんにはビルだけでなく、古い和風建築もけっこう残っていました。
若松駅があると思われる方向に向かって歩いていくとアーケードの商店街に出ました。ここに昔の写真が掲示してあって興味深かったです。若戸大橋工事中とか、完成直後の写真。日本が高度成長している時代ですが、なかなかいい感じの旅館も見えます。
このへんの商店街もなかなか渋いですが、寂れた感じはなく、かなりにぎわっていました。まだ朝ですがだいぶ暑くなり、喉が乾いていたところ、あいている喫茶店があったので入って少し涼みました。ついでに喫茶店のママに若松駅の方向を聞いたら、思っていたより遠く、まだ少しあるような感じでした。「本当にちっちゃな駅ですよ」といってました。
若松駅到着。小倉に行くには折尾まで行って折り返す感じになります。さらに駅構内に立ち食いを発見!!
これ幸いとかしわうどんを食おうと思ったら、店の人がいなくて「3分ほどお待ちください」という看板が出ていました。どうやらトイレか。すぐに戻ってきたので早速頼んで食べてみましたが、このへんで食べたかしわうどんの中では一番うまいと思いました。
そんなわけで、この後は仕事に向かい夕方の新幹線で東京に戻りました。何だか北九州でも、小倉や門司といったところは人が多くてにぎやかですが、今の戸畑や若松は意外に静かな風情の路地などもあり、のんびりした気分になりました。