四日市に行く用事があり、このついでに関宿を見学してくることにしました。これまで何度も通過する機会がありながら、見学する機会がなかった関宿。聞くところによると、JRの関宿で下車すれば、歩いてすぐのところにかなり魅惑的な町並みが残っているそうな。東海道の宿場町として有名ですが、もっと古代から鈴鹿関として知られていたところ。どんな感じの町並みなのでしょうか。
そういうわけで今回、宿泊はできなかったのですが、見学だけでもしてみようと思い、用事が終わって午後から関宿に向かいました。
まずは四日市駅。大都市の割に何だか“のぺっ”とした感じの駅ですね。
四日市から関西本線に乗り、亀山で乗換。関駅に到着しました。何だかわくわくします。駅中に観光案内所があったので、寄ってみると、おっちゃんが地図をくれて、どれくらい時間があるのか聞いてきます。「1時間くらい」と答えると、それに見合ったコースを教えてくれました。観光案内の地図なども充実しております。
私としては帰りの電車を1本延ばしてもまだ大丈夫なので、もし時間がかかるようであれば、それでもかまわないつもりでした。
駅からまっすぐ歩いていると古びた看板発見。
やや坂を昇る感じで歩いていくと、それらしき通りにつき当たりました。この前の通りが、東海道の宿場町の跡なのでしょう。
通りの両方にこんな感じの町並みが連なっています。どっちに行けばいいのかよくわかりませんでしたが、観光案内所のおっちゃんが「まず東追分に行ってみればいい」といっていたので、東方向をめざします。江戸に戻る方向ですね。
今でも商売をやっている家もあります。
こういう格子や2階の手すりなんかで、かなり凝っている家がいくらでもありました。
やがて道は下り坂に。少し前に降った雪がまだ残っています。通りはあまり人通りがないのですが、狭い道をけっこう車が通るので歩きにくいです。
東追分到着。このへんは東海道と伊勢別街道の分岐点で、常夜灯が残っていました。伊勢別街道方面には大きな鳥居があったのですが、これは式年遷宮の時に伊勢神宮の宇治橋南詰のやつを、移築することになっているそうです。
とにかく東追分を確認したので、次は西をめざします。平日の午後だというのに、観光に来たらしきモノ好きな人もいますね。私も人のことはいえませんが。
本陣跡。ちなみにここの門は近くの延命寺というお寺に移築されていました。
「まちなみ資料館」。近くに町並みを見渡すことができる展望台もありました。
もうひとつ本陣跡発見。本陣がふたつもあったなんて、さすが関宿。脇本陣跡もいくつか見かけました。
橋爪家というかなり渋い家も。今でも人が住んでいるのでしょうか。非常にうらやましいような風情を感じる家です。
このあたりに地図で私が目をつけていた旧旅籠「玉屋」があり、見学できるようになっています。そのへんを写真に撮っていると、自転車で通りがかったおばちゃんが「そうそう、玉屋はちゃんと撮っておいたほうがいいよ」とアドバイスして走り去っていきました。
その玉屋の隣に「石垣屋」という宿もありました。外観は雰囲気のある古さですが旅籠風ではなく、元は商家のように思えます。しかしどうやら宿として営業しているようです。こういうのがあると知っていたらぜひ泊まってみたかった。
開け放してあるので覗いてみると、何だか居心地の良さそうな座敷が連なっていました。今度行くことがあったら、ぜひとも頼んでみたいと思います。
さて玉屋は300円(まちなみ資料館と共通券)で見学できます。
奥に土蔵があり、浮世絵を展示してあるのですが、そこは写真撮影禁止でした。
座敷にあがってみます。欄間の見事さがすごい。「玉屋」は関宿でも名の通った旅籠で、昔は「関で泊まるなら鶴屋か玉屋、まだも泊まるなら会津屋か」と謡われたほどの宿。ちなみに鶴屋は見落としましたが、会津屋は何か商売をやっていました。いずれも建物が残っているというのがすごい。
2階座敷にはお膳が出ていました。今でも十分営業できるような保存状態です。
かなり時間をかけて見学したので、どうやら西追分まで行く時間はなさそう。この先の地蔵堂を見学して駅に戻ることにしました。
駅に戻る途中、名物らしき「志ら玉」というきれいな団子を売っている店があったので、1個だけ買い、あとはひたすら駅へ。駅の商工会議所に売店があって、亀山ローソクがいろいろ売っていたので、チョコドーナツ型のローソクを買ったあたりでちょうど列車が到着しました。
あまりに短時間でもありじっくりと見たとはいえませんが、前から行きたかった関宿をようやく訪問できました。これほどの規模で町並みが保存・整備されているとは思いませんでした。こうやって下見をしておくと、後で実際に泊まる時に役にたったりもするわけです。