札幌で2日目の仕事が終わり、翌日は千歳市内に用事があったので、この日は新札幌のホテルを予約していました。あくまでも仕事優先なので、あまり酔狂な宿を探す余裕もなく普通のビジネスホテルでした。前日まではまったく取れなかったホテルですが、この日はいくらでも空き部屋がありました。
しかしこの日の札幌も大通り公園はにぎやかで祭のような感じ。ビアガーデンも出ていました。
まだ夕方でしたが、私はのどが乾いていたのでまたも札幌駅ビルの地下に行き、回転寿司があったのでビールを飲むことにしました。おつまみはあわびといか塩辛。かなり暑い日だったので生ビールも3杯飲みました。
その後JRで新札幌駅へ。ホテルは新札幌駅と直接つながった構造なのですごく便利。改札前にはラーメン屋もあり、ホテルのロビーからはコンビニに直接入れるという立地の良さ。最近のビジネスホテルはこんなにも便利になっているのでしょうか。そうなると古い宿が対抗していくのはなかなか難しいですね。
夜8時くらいになってから、改札前のラーメン屋に出かけてみました。ホテルロビーから徒歩20秒(笑)
あくまでも味噌ラーメンに挑戦。
結論からいうと、ここのラーメンはちょっと昔風の懐かしい感じの札幌味噌ラーメンでした。野菜の甘みと脂のバランスが良く、すごくおいしかったです。普通駅前立地のラーメン屋といえば、あまり期待しないのですが、あなどっていて大変失礼いたしました。
さて翌朝もいい天気。朝食はレストランのバイキングでした。
この日は千歳市内で仕事ですがそれが3時からという遅い時間。朝食を食べながら、それまでどうやって時間をつぶすかを改めて考えてみました。
新札幌の駅周辺には水族館とか博物館があるようで、そういうのも割と好きなほうなので、そこに寄ってみようかと思いましたが、スマホで調べたところ、博物館は休館日、水族館はオープンまで少し時間がありました。
そんなわけで、バスで比較的簡単に行ける「北海道開拓の村」にいってみることに決定。北海道の古い建物が集まっている野外博物館です。何といってもここには大正時代の待合旅館が移築保存されているそうな。それはぜひ見てみたい。そういえばホテルの部屋からも野幌森林公園にある北海道百年記念塔が割と近くに見えていました。「北海道開拓の村」はこの塔のすぐ近くにあります。
そうと決まったらバス乗り場を探したのですが、新札幌駅も思ったより広く、けっこう手間取ってしまいました。ようやくバスセンターを見つけてバスに乗車。
そしていきなり正面に出てくるのが、旧札幌停車場。明治41年築。いまの札幌駅よりよほどいいですね。
あまり時間がないので、とっとと入っていくといきなり豪華建築登場。旧開拓使札幌本庁舎だそうです。
そしてすぐ近くに来正旅館もありました。遠くから見ただけで、すでにわくわくするような建物です。
写真を取っているとボランティアらしき案内のおっちゃんが登場。声をかけてきました。私はよくこういうおっちゃんにつかまってしまうのですが、実際に話を聞いてみると、こういうおっちゃんはだいたい物知りで、結果的に聞いて良かったと思うことが多いのです。
今回、正面の写真を撮影するのであれば、屋根の上にある防火用の樽まで入れなければいけない、ということをいわれました。そういわれてみればまったく気がつきませんでした。「こういう樽には実際に水を入れていたのではなく、防火に気をつかっている、というアピールのための広告のようなものだったのです」と解説してくれました。
おっちゃんと一緒に中に入り、当時の待合として使われていた部屋などを案内してもらいましました。古い写真も掲示されてあって、この旅館が戦後もしばらくは営業していたことがわかります。宗谷本線の永山駅前で待合兼業の旅館として利用されていたとか。創業者は屯田兵として入植した人だそうです。それを移築、復元したのがこの「旧来正旅館」です。いろんな歴史があったことでしょう。ひと通り説明を聞いた後、いよいよ探検開始。
入口すぐのところが待合部分。奥は軍人とか公務員とか、えらい人専用の部屋だったとか。
1階正面の座敷。客間というより、宿のスタッフの部屋でしょうか。
1階に狭い部屋をみつけました。日当たりも悪そうですが、こんな部屋を見つけるとぜひ泊まってみたいと思ってしまいます。
建物中央の階段をのぼって2階へ。こんな階段の風情も近頃なかなか見ないいい雰囲気です。
階段を上がってすぐの角部屋。この部屋もすごくいい感じです。前に泊まった佐久の出野屋旅館にも似ているような。
大正のビジネスマンがビールを飲みながら会話をしているシーンでした。
とにかく想像以上に古い雰囲気が残されていて感動しました。これを見るだけでも来て良かったと思います。
さて来正旅館の前には鉄道馬車の乗り場があって、村の奥のほうまで乗車できるのでそれに乗ろうと狙っていました。しかし発車時間になって改めて行ってみると、子ども連れの家族で満員状態です。私も乗りたかったのですが、子どもを押し退けてまでいい年をしたおやじが乗るのも大人げないので今回はあきらめました。
仕方がないので徒歩で先に向かいます。鉄道場所に線路に沿ったエリアは「市街地群」という位置付けで、民家や新聞社、写真館、商店などの建物が並んでいて、一応見学したのですが、あまりにも数が多くきりがないので省略。しかし、非常に見どころが多い。同じ明治・大正期の建物でも、本土とは趣が違うような気がします。西洋風がけっこう入っているというか。昔の交番もあり、そこには明治・大正期の警官に扮したおっちゃんもいました。
省略しがたいポイントとしては、橇を作っている大工のあんちゃんが、ガラが悪いのが目につきましたので掲載しておきます(笑)
やがて鉄道馬車の終点近くに徒歩で到着。交代用のどさんである「リキ」が草を食べていました。
このへんから先は「農村群」というエリア。ここも一軒一軒見学して、なかなか見どころの多いエリアでした。
しかし私が関心を惹かれたのが屯田兵屋。昨日泊まった江部乙も屯田村でしたが、この家に入ってみると、非常に質素で、こんな家で冬の北海道を過ごせたのか疑問に感じます。
今の感覚でいうと大きな土間があり、上がりに大きな囲炉裏も切ってあります。冬はここで盛大に火を燃やさないと厳しかったでしょう。
座敷はせまいやつが2間のみ。現代の東京にこんな家があったら、逆に快適に暮らせそうですが、当時の屯田兵はずいぶん苦労したのではないかと思います。
次に向かったのが、「漁村群」。予定していたバスの時間が迫ってきたので、ちらっと見るだけのつもりでした。
しかし行ってみると、非常に豪勢な番屋と漁家屋敷が残されており、これはぜひとも見学しようと思って中に入りました。
入るとやはりボランティアらしきおばちゃんが冷たいお茶をくれました。入り口左手は巨大な番屋、右手が座敷になっていました。私はお茶を飲みつつ座敷に上がり込み、座ってやれやれと休んでいたのですが、例によっておっちゃんが来て、「よろしければご案内しましょうか」といってきます。「あ、それではお願いします」といっておっちゃんの後について歩きました。
一番豪華そうな座敷も見学しましたが、ただお金がかかっているだけでなく、火が出るとほかの部屋に知らせるシステムなどもあり、なかなか感心しました。トイレの天井もゴージャス。おっちゃんによると「あまり派手にお金を使うと目立つので、こういうところでぜいたくをしていたわけです」ということでした。
この家は小樽にあった青山家という漁家を移築したもので、庄内地方から出稼ぎに来て、大をなした家だそうです。しかしニシンの最盛期は非常に短く、3~4世代程度で没落していったようです。とはいえ、ここに残されている家はまさに盛時を思わせる貫祿のある建物でした。
次に番屋のほうに案内してもらうと、天井の高い板の間と、ヤン衆の寝泊まり場が並んでいます。
囲炉裏も2~3個ありました。寝るスペースはひとり分が約1畳で、飯もここで食うという質素さ。しかし漁期にはここに出稼ぎに来て、ずいぶん儲けて帰ったことでしょう。
飯の世話などをする女性の部屋は2階にはしごであがる形式に部屋になっていて、夜間ははしごを引き上げていたそうです。「血気盛んな猟師がたくさんいるわけですから、悪さをしないようにという用心でした」とおっちゃんは笑っていました。
そんなこんなでもうほとんど時間がなくなり、走るようにしてバス停へ。もう少し時間があれば、もっとゆっくり回ってみたい野外博物館でした。百年記念塔を車窓から見ながら新札幌駅へ。
お昼はまたも新札幌駅前の別の店で味噌ラーメン。
その後千歳市に向かったというわけです。