「白骨温泉」には、あまりにもいろんな思い出がありすぎて、ブログの記事としてはなかなか手がつけられませんでした。回数でいえば10回以上は行っているので、たぶん一番多く行っている温泉だと思います。
まず最初の印象は「大菩薩峠」に出てくる「ハッコツ」です。盲目の剣豪・机竜之介が、眼病の治療のために白骨温泉に滞在する巻では、江戸時代末期の湯治場風情が表現されていて、虚無的な主人公なのにどこか牧歌的です。机竜之介はすでに宿守も山を下りてしまった冬に、湯小屋に泊まって湯治をします。昔の湯治場は米や味噌を持ち込んで、療養にはげむのが一般的。あくまでも病気やけがを癒す場所であり、気が済むまで滞在することができて、けっして観光地ではなかったことがよくわかります。
著者の中里介山も何度か「白骨温泉」を訪ねたそうですが、おそらく昔の「白骨温泉」は、人にもあまり知られていないひっそりとした山の湯治場だったのだと思います。「白船」とも呼ばれていた名称が「白骨温泉」として定着したのも、この小説が人気になったせいだといわれています。
大菩薩峠〈1〉 (ちくま文庫)
著者:中里 介山
筑摩書房(1995-12)
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「大菩薩峠」は30年も新聞連載されたやたらと冗長な小説で、いろんな伏線を張りまくったあげく、最後は不思議な架空世界に没入し、しかも作者が途中で亡くなってしまい未完に終わる、という一種の奇書です。どういうエンディングの構想があったのか、作者以外には知るすべもありません。
そんなイメージと「白骨」という不気味な名前に惹かれて、実際に訪ねたのは20年以上前のことです。15人くらいでバイクツーリングで行きました。泊まったのは「ゑびすや」という宿で、けっこうボロでしたが木造の渋い宿でした。「大菩薩峠」に出てきてもおかしくないような…。
私は都合があって一人遅れていったので、暗くなった乗鞍スーパー林道を月明かりだけを頼りに走りました。晴れ渡った夜空の向こうに北アルプスの山々の雪が光っていたり、うさぎが道の真ん中で月を眺めているのを見て、しみじみと感動したことを覚えています。
11月初旬だったのでものすごく寒く、遅れて到着して宴会に参加する前に入った露天風呂が、最高に気持良かったことも忘れられないほど強烈に記憶に残っています。
このツーリンググループは、学生時代の友人関係を中心とした男女20人くらいのグループで、しょっちゅういろんなところに行きました。毎年恒例の目的地がいくつかあったのですが、白骨温泉もそのひとつで11月初旬に必ず行くようになりました。
11月初旬というと、すでに雪や凍結で道路が危ない時期で、一度は白骨から降りる山道が凍結して昼頃まで帰ることができない時もありました。この時はさらに松本からビーナスラインに登って、結局夕方になって道路の凍結が始まり、進退極まったこともあります。オンロードもオフロードもみんな転倒し、クラッチレバーを折ったり、電気系統がいかれたり、かなりのピンチだったのですが、すごく若かったせいか、みんなけっこう笑いながら「どうしよう」なんていっていたものです。
でもこのときみた夕暮れのビーナスラインからの景色は、今までを振り返ってみても一番美しかったです。
この頃(20年くらい前)は、白骨温泉も一種のブームになる前で、まさに素朴な秘湯感がありました。泊まった宿はそのつど「つるや旅館」や「柳屋旅館」「泡の湯」「新宅旅館」などで、どこも個性的でなかなか良かったです。しかしバブル以降、温泉の雰囲気は大きく変わってしまいました。例の温泉偽装問題も、ブームに乗って大量の観光客を集め始めた結果のできごとだと思っています。
その後、「泡の湯」なども再訪してみましたが、すっかり趣が変わってしまい、ちょっとした高級旅館になっていました。露天風呂が有名で、あまりに人気が出たせいでしょう。もはやまったく湯小屋風情はなく、露天風呂は昔のままですが、近代的な宿になっています。
さて前置きが長くなってしまいましたが、「白骨温泉」に最近行ったのは2007年の6月です。この時は松本から新島々を通る国道を通っていきました。ついでに何回も白骨に行っていながら、バイクは乗り入れできないし、どうもチャラチャラした感じが嫌だったので、あまり行かなかった「上高地」にも行ってきました。
まあ行ってみればやはりきれいなところです。でも人があまりにも多い。
この時はついに「湯元齋藤旅館」に泊まりました。昔のバブル期には常に満室状態で、なかなか予約が取れなかった白骨の原点ともいえる有名旅館です。この時は簡単に取れました。国道から白骨温泉に分岐する道も、昔のような難所はなくなりスムーズに行けるようになっていました。まあ、実際に泊まってみたところ、やはり高級旅館で部屋も食事も豪華、お風呂も立派と、文句のつけようがありません。
上のお風呂の写真は露天風呂などが撮影できなかったので、小さな家族風呂のものです。それでもけっこう立派。食事にはお品書きなどもついています。でも昔の写真をみると、「昔のほうがずっと魅力的だ」と主張したい気持を私は抑えきれません。
上の写真は宿のHPからお借りした明治時代の「齋藤旅館」。すごくいい感じです。どこの温泉地でも、こうした風情はいろいろな事情で失われていくわけですが、けっこうがんばって守っているところもあります。結局、「白骨温泉」はバブル期の需要に振り回され、せっかくの伝統的な価値を自ら失ってしまったのではないでしょうか。温泉ハップの投入も、“乳白色の湯”という観光客のイメージに迎合しようとしたため。もちろん私も海だ山だと、遊び回っていた観光客の一人であったわけで、責任の一端があるのかもしれません。
私は自分の特殊な趣味を他人に押しつけようとはまったく思いませんが、団体旅行に便利な機能的・近代的な温泉旅館と、古い趣を残した伝統的な個性を持つ宿と、どっちが貴重かを考えてほしいと思います。さらには一度失われたら、けして取り返しがつかないことも…。
その上で、どうしても変わらざるをえないものなら変わっていくしかないのでしょう。
[白骨温泉・湯元齋藤旅館](2007年6月宿泊)
■場所 〒390-1515 長野県松本市安曇白骨温泉4195
■泉質 炭酸水素塩温泉(硫化水素型)・源泉かけ流し
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