きれいで設備の整った「我が島荘」で快適な一夜を明かし、翌朝は気分よく起床。早速朝食は「金ちゃんラーメン」。これも、前日に島に入ってから酒屋で買ったやつです。

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この日も天気はいまいちで寒い日でした。
海に乗り出す木の枝にトンビだか鷹だかがいて、島の小鳥が飛び立つのを狙っているような姿も見えます。寒そう。

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宿の外に出ると、やはり海がきれいに見えます。

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東京に帰る前に、ちょっとでも島のどこかに寄りたいと考えていました。計画通りであれば、島にいくつかある別の集落にも立ち寄ってみたいと思っていたのですが、やはりバス便頼みでは、たいして移動できません。少し調べた情報では、安下庄という集落に、すごくおいしいラーメン屋さんがあるようですが、10km近く歩く必要がありそう。

バスが通る久賀という集落には、平安末期に創建された「石風呂」が残っていて、見学できるとか。こういうところに寄ってみようかなどと考えていました。

宿代を払うために食堂併設の母屋に行くと、おっちゃんが出てきました。おっちゃんが「今は食堂をちょっと休んでいて、きのうはおかまいもせず申し訳ありませんでした。もし、どこか行きたいところがあれば送っていきますよ」といってくれました。

おっちゃんのおすすめは割と近くにある宮本常一氏関係の資料館だということで、「9時くらいから開いているはずなので、もう少ししたら送っていきましょう」ということになりました。

クルマに乗せてもらって、「なかなかいい島ですけど、足がないとつらいですね」というと、「やっぱり島だからね。不便ですよ」ということです。それでも思った以上に商店などが多く、本土とも橋でつながっているわけですから、瀬戸内海の島の中では便利なほうだと思います。

「このあたりは宮本さんの出生地に近いわけですよね」というと、「もうほんのすぐそこですよ。この先の寿司屋の裏のほうです。今でも家が残って息子さんが住んでいますよ」と教えてくれました。その寿司屋はきのう歩いた通り沿いにあって、民宿を併設しており、私も関心を持って見ていたので「なるほど」と思いました。

さらにおっちゃんは「息子さんは、道の駅で石焼芋の売店をやっています。このへんは東和きんときという芋が名物なので、それを売っているはずです」ということでした。

宮本さんの資料館は、きのう歩いた長崎集落のやや東側にあたり、そんなに遠くはありませんでした。おっちゃんは受付の人と顔見知りらしく、先頭に立って入っていき、まだ開館少し前でしたが入れてもらうことができました。正式には「周防大島文化交流センター」という名称。

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資料館には宮本氏が集めた島の民具類が展示してあり、昔の写真や業績をまとめたパネルなども展示してありました。私が入ったので、資料ビデオの放映もやってくれました。

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とにかくなかなか立派な会館です。

宮本常一氏の生家の写真もありました。この家のこともよく本に出てきます。カイコを育てるために2階を増設したという話だったと思います。昔の集落は、通りをはさまず、そのまま海に面していました。

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猿まわしの写真もどこか懐かしい感じ。

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会館には図書館が併設されていて子供図書館のコーナーもありました。プーさんが疲れ切った感じです。

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かなり長時間見学して、ようやく外に出ると、すぐ隣に星野哲郎氏の記念館もありました。星野氏も島の出身だそうで、立派な建物です。私は記念写真だけ撮ってきました。

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このあとどうするかと悩んだのですが、バスの時間を考えると、これくらいで島を離れることに決めました。また少し歩いて周防下田駅まで行き、そこで本土行きのバスに乗るつもりです。今日中に東京に帰ればいいので本当はもっとゆっくりしたかったのですが、バスを1本逃すと、次までがかなり間があります。

そこでまた国道を歩き始めました。

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やがて道の駅や、真宮島などが通くに見えてきます。

冬場で天気も良くないですが、海はきれい。宮本氏の本では、このへんは風が凪ぐと海面が鏡のように平坦になって、とてもきれいだと書いてありました。

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真宮島に渡るコンクリートの回廊があったので、ちょっと島にも寄ってみました。

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やはり宮本氏の本によると、この島は真宮島ではなく新宮島と表記されています。浜側と沖側に2つの小島があり、浜側が「カチの島」、沖側が「沖の島」と呼ばれていたと書いてあります。細長い洲で島の本土とつながっていたということですが、私が行った時にはカチの島と沖の島の間が海で分断されていました。しかし、干潮になったら渡れそうな道ができていることがわかります。

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この島は元は村の共有で、宮本家ではそこを小作して段々畑を作り、桑などを植えていたそうです。

終戦後、外地から引き上げた老人が小屋を建てて、着のみ着のままで住みついたそうです。塩水を煮詰めて塩を作り、麦やイモと交換して暮らしていた。やがて死に、その後は何事もなかったように草にうもれていったということです。

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こんな小さな島にそんな老人がどうやって住んでいたのか。いろいろ興味深い島ですが、バスの時間もあって、そろそろ戻ろうかと思っていると、「おはようございますっ」と声をかけられました。

ふり返ると、全身ウェットスーツのおっちゃんが、こちらに向かってきます。最初「何者か」と思いましたが、あわてて私も「おはようございます」とあいさつを返すと、そのまま海に入っていきました。何か磯の作業でもやるのでしょう。びっくりしました。

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道の駅では宮本農園の石焼き芋売店も見学。

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この付近は魚屋が何軒かあり、いろんな近海魚が売られていました。大量のなまこも。

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そしてきのうも通った周防下田駅に到着。ふり返ると、白木山と思われる低い山も見えました。

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結局、バスの時間ぎりぎりで乗車。

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山陽本線の大畠駅に到着し、今度は広島をめざしました。

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しかし、車中で考えているうち、ついでなので宮島口で途中下車し、厳島神社でも見ていこうかと思い立ちました。ちょうど大河ドラマで平家をやっており、けっこう盛り上がっているのではないかと、と思ったわけです。

それで宮島口で降りてみると、思った通り清盛ののぼりが林立していました。

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宮島に渡る乗船口も近いので、まっすぐ港へ。

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またも船に乗ってしまいしました。たぶんカキだと思いますが、養殖場が見えます。

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そしてかの有名な世界遺産の大鳥居もすぐに見えてきます。

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宮島にはあいかわらず鹿がいっぱい。子供が何か紙を取られてうろたえていました。

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ゆっくり歩きながら厳島神社へ。

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陸側からみる大鳥居。

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やっぱりここの回廊は見事なものです。觀光客もたくさんいました。

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帰る途中で遅い昼食を取りました。カキの焼いたやつもありましたが、なぜか尾道ラーメン。どこにいってもラーメンを食べてしまう。

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お土産屋をのぞきながら再び桟橋へ。途中でもみじ饅頭を買いました。

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こうして今回の島旅も終了。松山から柳井、柳井から周防大島、さらに大畠から宮島口へ。宮島から広島を経て、新幹線で東京に帰るという、まったく右往左往の旅でした。しかし私は長年の念願であった周防大島に、とにかく一度は上陸できたので大変印象深い旅となりました。

[周防大島  我が島荘](2012年1月宿泊)
■所在地  周防大島町大字西方25-1
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