正月早々、松山に仕事で行く用事ができました。せっかくなので一泊くらいしようかと思ったのですが、去年も道後温泉に泊まっていて、今回は少し違う企画を考えてみました。それは松山の三津浜から出ているフェリーに乗って、周防大島に渡ってみようという企画です。

周防大島は旅する民俗学者・宮本常一氏の故郷。瀬戸内海の島の中でも大きな島で、古い歴史を持っています。だいぶ前から、一度はいってみたいと思っていた島です。漁業や農業の営みだけでなく、海賊の勃興、毛利時代の戦いや幕末の長州征伐など、さまざまなできごとの舞台ともなった島。確か高杉晋作の奇襲作戦もこの近くだったような‥。そんな興味深い島の歴史を感じてみたいというもくろみでした。

松山からのフェリーに乗ると、周防大島の伊保田港からは、周辺の小さい島に渡る町営渡船も出ているそうで、そんなのに乗って小さな島を訪ねてみるのもおもしろそう。

そんなわけで、とにかく松山で仕事が終わったら三津浜近くに一泊し、翌日周防大島に渡ることにしました。今回、そんなに時間はとれない感じでしたが、とにかくまずは一歩上陸してみよう、という作戦でした。

そこで三津浜近くに一軒だけ発見した「浜本旅館」を予約。フェリーターミナルのすぐそばで、翌日周防大島に渡るのにすごく便利そうです。

当日はとりあえず松山空港から、バスで市内へ。今回はまず松山市駅に行って、だいぶ前にも寄ったことがある食堂に入りました。かなり寒い日だったので鍋焼きうどんを注文。

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仕事が終わったので夕方、三津浜近くをめざしました。市内電車で古町という駅まで行き、ここで伊予鉄道の高浜線というのに乗り換えます。

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この駅は軌道線と鉄道線が入り組んだ不思議な構造になっていて、乗り換えのシステムがよくわかりませんでしたが、とにかく何とか乗車。三津駅をめざします。

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三津浜港にも割と近く、予約した宿はここから歩いていけそうなところにあります。

三津駅に到着。駅舎は意外にハイカラな感じでした。

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駅の内部もなかなか雰囲気があります。

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しかし駅前には古そうな商店や、由緒のありそうな商店街も。

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だいたいの方向の見当でこの商店街に入ってみました。

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それなりににぎやかそうな通りなのですが、シャッターが目立ちます。

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脇の路地には歓楽街らしき雰囲気も。

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このあたり、古くて立派な家が目立ちます。

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なかなか高そうな鯛めし屋もありました。

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渋い町並みを歩いているうちに港に出ました。

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三津浜港というのは、古い歌に詠まれている「熟田津」であるといわれています。このへんから額田王が船出したのでしょうか。

熟田津に
船乗りせむと月待てば
潮もかなひぬ
今は漕ぎ出でな

なんちゃって。万葉のみやびな王女が詠んだ古歌に対して、平成の下品なオヤジが思いをいたす──。それもまた「いとをかし」といえないものかどうか。

いずれにしてもこの日は寒くて、月を探すどころではありませんでした。

宿は港のすぐ近くに立地。

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あまり情報がない中で、もっと古い宿をイメージしていたのですが、意外に新しい建物です。民宿みたいな感じ。隣はお食事処になっています。

ハートマークのウェルカム看板も(笑)

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ピンポンを押すとおばちゃんが出てきて、すぐに2階の部屋に通してくれました。「食事はいつでもできる」ということでしたが、先にお風呂に入れてもらうことにしました。

部屋も新しくきれい。仕事で泊まるのに十分な設備・備品が整っています。

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さっそくふとんを敷いて、気が向いたらいつでも寝ることができる体制を準備。

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6時くらいから食事にしてもらうことにして、まずお風呂へ。お風呂は普通の家庭用よりやや広めで、なかなか快適なお風呂でした。

時間になって1階の食堂に行くと、すでにおばちゃんが待ち構えていました。要するに「お食事処  はま路」のスペースが食堂になっており、宿泊客もそこで食べます。お食事処は今はやっていないみたいでした。

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夕食はこんな感じ。イカの刺身や煮魚、エビなどがそろって、なかなか豪華です。ごはんと味噌汁はあとにして、ビールを頼みました。

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なまこ酢があるのがいいですね。これがいいつまみになりました。

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そうしているうちに、もう一人若い男性客が来て、やはり飲み始めました。常連さんみたいでした。

出ているおかずを食べながらビールを飲んでいると、さらに追加で焼肉登場。

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そうなると、かなりのボリュームです。おばちゃんはテレビを見ながら、民主党の岡田さんの人相が悪くなったとか、ちょうどこの時広島で囚人が脱走したニュースをやっていたりして、いろいろコメントをしていました。なかなか話好きな人のようです。

おばちゃんは「今は松山も大街道とか銀天街が中心になっているけど、昔はこの港のあたりが一番の繁華街だったんだよ。今は商店街も寂れてしまったけれど、昔は映画館もあったし、向こうには遊廓もあったくらいだから」と自慢していました。今は産業構造や交通状況が変わりましたが、確かに重要な港の近くなので多くの人が集まる中心地だったのでしょう。

最後にごはんを頼むと「ふつうのごはんとカレーライスができますけど、どうしますか」といわれたので、せっかくなのでカレーライスを頼みました。しかし、私はこの前日、家でもカレーライスを食べたばかりだったし、おなかもけっこういっぱいだったので、「ほんの少しでいいです。小盛りにしてください」と頼みました。

おばちゃんは「はいはい」といってましたが、しかし、私の願いは無視。

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めいっぱいの大盛りが出てきました。

こういうものは残すのも悪いので必死で食べました。こんなにいろいろ出ると知っていたら、ビールを抑えておくべきでした。

おなかが苦しいので早寝。

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翌朝も寒い日で、四国の松山といえば温暖だと思っていましたが、やはり1月は寒いということが実感されました。

朝食も同じ食堂へ。

朝食を食べながらおばちゃん(この家の女将さん)に、いつ頃からやっている宿なのが聞いてみました。すると、かなりの古い歴史を持った宿だということがわかりました。

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女将さんの話によると、宿の開業は110年前。もともと松山の沖にある中島に渡る船便を創業したという由緒ある家だとか。しかし古い旅館の建物は、平成に入ってからもらい火で全焼。近くで天ぷらなんかの揚げ売りをしていた屋台の火の不始末から出火して、どうしようもなかったそうです。並びの家が9軒焼けたということです。

そして建て替えて、改めて営業を継続しているのが現在の「浜本旅館」だそうな。そうとわかると、古い宿が焼けたのが本当に残念です。

女将さんは「私はこの辺の出身ではなく、砥部から嫁にきたのです。長く続いた宿を私の代でつぶすのは親に顔向けできないと思った。息子はこんな小さな宿をやっても中途半端でもうからないといってましたけど、とにかく続けるしかないと思った。金融公庫からお金を借りるのにも大変だったけど、やれるだけはやったので、何とか許してもらえるのではないか」といっていました。

許すも許さないも、こんなにがんばっていたら、たいしたもんです。

砥部の農家で生まれ育った幼少時代。小さい頃は山の中の小学校に通うのに魚などを入れるトロ箱を持って坂道をのぼっていき、帰りはそれをソリにしてすべって帰るのが楽しかったそうです。「でも時々私が林に隠しておいた箱を勝手に使ってすべる子がいてね~」と懐かしそうに話します。

おとうさんは宮大工だったそうですが、農業もしていて、肉牛、乳牛のほか、農作業用の牛も飼っていたそうです。「小さい頃は牛に草をやると、牛がもぐもぐ食べるのがおもしろくてね。牛の食べ方はかわいくておもしろいので飽きなかった」といいます。

そのほか「池でどじょうをとって近所のおっちゃんに持っていくと小遣いをくれた」とか、いろんな昔の想い出話をしてくれました。農作業も手伝ったそうです。

「子供でも働いたよ。一人でやると大変な作業でも、友達みんなを集めて分担してやる。そういうふうに仕事をうまく手配するのが得意だった。今でもそのおかげで足腰はしっかりしているよ」といっていました。確かに女将さんは小柄ですが、姿勢が良くて背中が伸びており、用があると走るように飛び出していくなど、すごく元気です。若く見えましたが実際は70歳を超えているとか。

私は「そんな山の中から港の宿にお嫁に来たということは、誰か世話をする人でもあったんですか」と聞いてみました。

すると女将さんは「いや、職場結婚」という意外にハイカラなこたえ。「伊予鉄の観光バスのバスガイドをしていて、夫は運転手をしていたのです」ということでした。

息子さんや実家の兄弟も、家業がある一方でいろいろな仕事をしており、あまり詳しく書くのもまずいとは思いますが、要するにそれぞれ立派な地位にあって元気に働いているそうです。

なかなかおもしろい話ばかりで、もっと聞いていたかったのですが、船に乗る都合もあるのでしばらくして出立することにしました。

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といっても港はすぐ前。フェリーターミナルも徒歩1分くらいのところにありました。

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窓口に行って、午前に出る船で周防大島の伊保田港まで行くチケットを買おうと思っていたのですが、「今、船がドッグに入っていて、伊保田港には寄りません」という返事。私は意味がよくわからず、「そうすると何時の船なら寄るんですか」と聞き返しました。しかし「今日から1週間、すべての船は伊保田港には寄りません。柳井港直行になります」という衝撃の返事。

私はこの日、周防大島の民宿を予約してあったのですが、島に渡れないとなるとどうすればいいのか。

少し落ち着いて作戦を考えようと思い、窓口のおっちゃんにちょっとタイムを告げて、待合室の椅子に座って考えました。

いろんな手が考えられます。まず今回は周防大島をあきらめ、宿をキャンセルして、松山からそのまま東京に帰るという手。あとは別ルートで別の島に渡ってみるという手。さらにはいったん本土の柳井まで渡り、そこからバスなどで周防大島をめざす手。このルートだとすごく遠回りすることになりますが、周防大島には本土から橋がかかっているので、たぶん本数は少ないにしても、バスで行けるはずです。

結局、とにかく周防大島にたどりつくことだけを目標に切り替え、島のいろんな場所は見学できなくても、「とにかく島に行くだけは行って、一泊して帰ろう」と決めました。

いつもきちんとした計画を立てず、ろくに調べないで出かけるのでこういうことになります。

出航までには少し時間があり、船もまだ着いていませんでしたが付近を少し歩いてみました。そこの看板を見ると。確かに特別ダイヤの注意書きがありました。

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いまさら「ご注意くだいさい。」といわれても。まあ、自分が悪いのですが。

窓口のおっちゃんに「じゃあ柳井まで1枚」といってチケットを買い、何とか柳井経由で周防大島上陸をめざすことにしました。本当にたどりつけるのかどうか、不安でいっぱい。

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ということで、この続きは次回にします。

[松山  浜本旅館](2012年1月宿泊)
■所在地  愛媛県松山市三津1-4-10
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