仕事ができたので5月中旬に気仙沼に行ってきました。

震災前の今年の2月に訪問して以来です。それから3か月後。町はどんなふうに変わってしまったのか。また、思えば2010年の5月にも気仙沼を訪問し、その時は一泊しています。泊まった宿は「大鍋屋旅館」。被災したとは聞いていたのですが、この機会に一年ぶりの訪問を果たしたいとも思っていました。

一ノ関駅から大船渡線の普通列車に乗ります。2月に来たときは「盛行き」でしたが、今は「気仙沼行き」。気仙沼から先の陸前高田や大船渡方面は、再開の見通しがまったくたっていないという事実。震災の影響の大きさを、すでにこんなところで感じてしまいます。

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去年も田んぼの田植えがほぼ終わったような時期でした。今年も沿線風景を見ると田んぼに水が入り、かなり田植えが進んでいます。

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気仙沼駅前は意外にも人が多く、これまでにない活気のある雰囲気でした。明らかにボランティアとしてやってきたらしい人々や、取材のための報道関係者などがたくさんいました。鉄道で行ける気仙沼を拠点に、南三陸や陸前高田、大船渡などにアクセスしようとする人も多いらしく、タクシーも大繁盛していました。

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ちょうどお昼頃だったので、まず2月に寄った駅前の大衆食堂ますやへ。前はラーメンを食べました。今回は店のおばちゃんが「気仙沼ラーメンはできません。今、材料が入ってこないもので」とことわってきました。確かサンマを使ったラーメンだったような。そういうわけで味噌ラーメンにしました。何度きても結局選ぶのはラーメン系。おいしかったです。

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駅から市内へクルマで向かいつつ、あたりの景色を見ましたが、駅周辺は高台になっているせいか、それほど大きな被害の様子は感じられませんでした。クルマも普通にたくさん走っていました。

市内で仕事を終えた後、もう3時くらいだったのですが、現地の知人がクルマで港方面を回ってくれました。私が去年大鍋屋旅館に泊まったことを知っているので、何をさておいてもまずは大鍋屋旅館へ。

大きな通りは思ったより片づいていました。現地の人も「これでも津波の直後と比べると、がれきは8割か9割くらいは片づいたような感覚」といっていました。しかし見ていくうちに、それは部分的な話なのだと思い知りましたけど。

大鍋屋旅館の去年のようす。

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そして今年。被害は大きかったようですが、思ったより構造がしっかり残っている感じ。しかも補修工事の最中でした。

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しばらく見ていると奥に女将さんがいたので「去年泊めてもらったものですが」といって声をかけると、「まあ、何とか再開したいと」とあまり力のない声で応えました。

このところずっと「泥との戦いの毎日だった」ということです。泥を出しても出しても片づかず、乾燥剤を入れたり、いろいろやったそうです。ようやくこの時期になって、工事ができるような状態になったようです。

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電柱が倒れてきて壊れた部分もあったそうです。余震などでまた倒れてきて、昔からの看板が壊れると困るのでいったんはずそうとしたそうですが、「どうしても看板が取れないんです。看板もやはりあそこにいたい、といっているようで‥」と女将さんはいってました。

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実際に津波が来た時はいったん3階に逃げたそうです。「前の津波の時はそれで大丈夫だったので」ということでしたが、見ているうちにそこも危ないと思ったので、いったん潮が引いた時に裏の気仙沼女子校まで走ったそうです。高台にそびえる要塞のような校舎。それで女将さんは何とか無事。よかったよかった。

しかし、いろんな悲惨な話も聞きました。多くの人が亡くなっています。とにかく想像を超えた大きな災害だったことを実感しました。大鍋屋旅館の裏手に並んでいた古い家も大きな被害を受けていました。

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もう一軒、裏にあった旅館「金港館」は、やはり被害にあったものの、すでに再開しているそうです。

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大鍋屋旅館の裏手に回ってみると、お風呂が開放状態になっていました。ここも被災後の地域の人にとっていろいろ役立ったに違いありません。駐車場には大きなテントも張ってありました。

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すごく心配していた大鍋屋旅館が営業再開に向けて動き出しているのを見て、少しホッとし、暗い気持も明るくなったような気がしました。

しかし、このあと海沿いをクルマで回ってみると、やはり想像を超えた被害だったことがわかりました。3か月近くたった今でも、まだまだ傷跡がはっきり残っているエリアも多いのです。

大鍋屋にも近い、フェリー乗り場のエースポートには、「港町ブルース」の碑がありました。行ってみると残ってはいましたが、かなり傾いています。前はセンサーで音楽が流れましたが、もちろん今は流れません。

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桟橋も海に沈んだままです。

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倒れた像を、誰かが座らせてあげたのでしょうか。

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この近くの「男山本店」は見事な石造りの建物でした。

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それが今はこんな感じ。

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大鍋屋の近くの文具屋さんも、もともと古かったわけですが‥。

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今はこんな感じ。たぶんもう使用不能に見えます。

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せっかく着物作家さんに教えてもらった、ラーメンがうまいという「喫茶マンボ」があったはずのエリアも、こんな状態になっていました。

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すごく危ない感じの建物も残っています。

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全体的に地盤沈下したため、水がなかなか引かないというエリアもありました。私が見た中では、魚市場から南気仙沼駅方面のがれきがかなり残っていて、震災以前の状況をなかなか思い起こすこともできない状況でした。

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市場近くにあって、何度も寄ったおみやげ屋さんの「海の市」は、1階部分が完全に破壊されていました。「お魚いちば」も同様。

エースポート付近では、これから気仙沼を長期取材していくつもりだという若いカメラマンに出会いました。彼は自転車で市内を回って撮影を続けているそうです。宿泊は駅の近くの「宝屋旅館」だということですが、「いや~、今はもう満室状態ですね」といってました。その近くの「かどや旅館」もなかなか良さそうな建物だったのですが、いったん営業を休止していたのが、今回の震災で再び営業を始め、被災者などに格安で部屋を貸しているそう。

駅に近い高台に多かった古い旅館が残ったのは、不幸中の幸いでした。

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私を連れてまわってくれた知人は、自宅が被災し、その後アパートを借りることができたものの、やはり家族が多くて手狭なので、単身で「かどや旅館」暮しをしているということでした。

彼は自宅を流されてしまっているわけですが、家族はみんな無事でした。その彼は、「家なんか流されてもどうってことはない」といいます。「ええ~っ」と思いましたが、彼がいうには「再起しようと思う一人の男にとって、仕事を失った、働く場所を失った、というのが一番こたえる。そんな人が気仙沼にはたくさんいる」ということでした。

気仙沼は水産業の町なので、魚市場を再開し、なるべく早く水揚げができるように作業を急いでいるそうです。しかし、これだけの状況なので、まだまた困難がありそうです。

特に製氷工場が被害を受けたことが大きいそうで、船や市場、倉庫では大量の氷を使用する必要がありますが、それが供給できる大きな製氷工場が復旧しないと、水産業は本格的に立ち直れない。とにかくお金がかかるようです。自治体レベルでは難しいと思うので、国が何とかすべきでしょうが、国の支援策は融資とか、利子補給とか、漁協単位の支援とか、杓子定規で使えないものばっかりだし。国による大規模なインフラ投資と、事業者個人に対し、新たな債務を負わせない形での支援が必要だと思います。

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地域経済を支え、観光の目玉ともなっていたカキやホタテの養殖についても、再開できるようになるにはさらに時間がかかりそうに思えました。

私はこの数年、たまたま気仙沼を訪ねる機会が多かったのです。そんな事情もあるので、今後もできる限り訪問して、復興の様子を見守っていきたいと思っています。

今回は本当に沈うつというか、ショッキングというか、気分が重くなるような訪問でした。しかし、多くの人がふだんの生活を取り戻すために動き始めていました。

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絶対にまた来よう、復活した大鍋屋旅館にまた泊めてもらおう、などと思いつつ、気仙沼をあとにしました。

[気仙沼  大鍋屋旅館](2011年5月再訪・当時休業中)

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