門司港に一泊して、この日は東京に帰るわけですが、その前に午前中くらいは少し周辺を散策してみようと思いました。
港付近には古い建物を利用した門司港レトロの観光物件がたくさんありますが、私はまず門司港市街の山の手に当たる住宅街をめざしました。
もらった観光マップを見ると、宿の近くに「旧三宜楼」という建物が出ていました。詳しい説明は書いてありませんでしたが、たぶん古い建物だろうと思ったので見学へ。
この日は昨日までと違いかなりいい天気。市内散策に最適です。そんなに寒さを感じません。
門司港の町並みはレトロ路線の観光開発とは別に、どこか懐かしい感じが残っています。普通の住宅街でも、ちょっと裏道に入るとなかなかいい感じの通りがありました。
とりあえず「旧三宜楼」の前に到着。路地奥の木造3階建てです。
思ったより巨大な見事な建物。石垣の上に建っているため近くまで寄れません。公開もしていないようでした。
看板を見ると、この旧料亭はいったん取り壊し寸前までいったのですが、市民有志の活動によって保存の方向で検討されているとか。
こんな貴重な建物はぜひとも残していただきたいものです。
ちなみにこのあと関門海峡ミュージアムというところにも寄ったのですが、そこに「三宜楼」時代の集合写真がありました。昭和5年の建築ということなので、ちょっとモダンな印象も受けます。
このあと、裏道を歩いているとなかなかおもしろい通りがたくさんありました。
このへんを歩いていると、数人の男女がきょろきょろしながら歩いているのに出くわしました。地元のおばちゃんが案内しながら、狭い通りを見て歩いています。どうもテレビか映画のロケハンをしているような感じ。
「ここに古い渡り廊下があります」とおばちゃんがいうので、私も一緒になって見学し、撮影してきました。この家も古そうです。
木造の3階建てで、普通に現在も人が住んでいる家がけっこうありました。
やがて昨夜、夕食の帰りに発見した「大黒」の前にさしかかりました。明るいところで見てもなかなか趣のある宿です。
きのうは暗くなってから見学した旧門司税関の建物にも改めていってみました。
この前に展望室のある高層ビルがあったのでのぼってみようと思ったのですが、まだ時間が早くてオープンしていませんでした。
港に沿って門司駅港方面に歩くと、はね橋にさしかかりました。この橋は「恋人たちの聖地」に認定されているそうですが、どういう認定制度なのかは知りません。
とにかくこの橋を渡ってふり返ると、関門橋がきれいに見えます。下関の山もごく近くに見えます。
さらに行くと下関に渡る「関門連絡船」の乗り場がありました。時間を見ると、かなり本数もあるようなので、あとで下関に渡ってみることに決定。
それまでの時間、乗り場の少し先にある「関門海峡ミュージアム」の見学へ。この手の施設は、いかにも観光客向けっぽい感じがしてどうかと思うのですが、見かけるとつい入ってしまいます。
受付で聞いてみると無料のコーナーと有料のコーナーがあるということだったので、時間もあまりないことだし無料コーナーだけ見学していくことにしました。
大正時代の町並みを再現した「海峡レトロ通り」がなかなか良かったです。ここで、先ほどの「三宜楼」の古い写真もここで見つけました。
それとバナナの叩き売り発祥の地なので、バナナ関係の展示も多数。「バナちゃん節」について勉強することもできます。
上層階には無料の展望室があって、一応見学しました。天気がいいのでいい眺めです。
さて、午前中だけ遊んで帰ろうと思っていたのですが下関まで渡ってみるということになると急がないといけません。再び連絡船乗り場に戻り、自販機で下関までもチケットを買ったのですが、どうも周辺の觀光客を見ていると、みんな巌流島に行くようです。
そんな船があるのなら私もちょっと行ってみたい。と思ってしまうのは、周囲に流されやすい性格のせいなのか。
とにかく窓口で事情を話し、チケットを変えてもらって巌流島へ。小さな船に20人くらいの觀光客が乗り込みました。
船はけっこうなスピードで狭い海峡を渡り、すぐに巌流島へ。5分か10分くらいだったような気がしますが、もう少しかかったかもしれません。
そして例の武蔵と小次郎の像。これはどこかで見かけたことがあります。何にもない、巌流島の公園にポツンと立っているのですが、なかなか迫力のある決鬪風景です。
どうやって増えたのかわかりませんが、野生のタヌキもいました。
さて、次に下関側の唐戸桟橋に渡る船を待ち、連絡船で下関へ。これも乗ったらあっという間に到着しました。
周辺はかなりにぎやかで観光市場もありますが、私はまずは安徳天皇陵があるという赤間神宮へ。歩いて5分くらい。途中に日清講和記念館もありました。御陵そのものは見れませんでしたが、「海の底にも都がある」と信じて沈んだ幼い天皇を偲んで、手を合わせてきました。
神宮から海峡を望んでみると、こんな狭い海域で源平の軍勢が戦ったというのは信じられないような思いです。
そういえばかの高杉晋作せんせいも、ここで下関戦争や四境戦争にのぞみ、門司や小倉の攻略に出かけています。彼も下関で亡くなっているので、関連する記念碑などもあるようでしたが、今回は時間がないので、残念ながらそんなゆかりの場所はすべてパス。「馬関」とも呼ばれていた時代、商港として繁栄した下関にはすごく興味があります。古い宿もありそう。
しかし今回は改めて訪問する時のために、ちらっと通り過ぎるだけで終わりました。
唐戸市場で昼食。ふぐも食べたかったのですが、けっこう高いので普通の海鮮丼。お昼時の市場は混み合っていて、観光客がいろんなものを食べていましたが、私もそのへんのテーブルに座って一気食いしました。
市場の前に「ふくの像」も。世界一だそうですが、何が世界一なのかよくわからないままになってしまいました。そもそも比較すべき像がどこかにあるのでしょうか????
そしてここからタクシーで下関駅へ。もう昼を過ぎており、東京に帰るためには早めに新幹線に乗りたいところ。といいつつ、駅で立ち食いそばを発見したので、海鮮丼を食べたばかりにも関わらず、また食べてしまいました。「ふく天そば」はこの地ならではのメニューなので、見逃すことはできませんでした。
結局、下関から電車で東京に帰る場合、いったん小倉に戻って「のぞみ」に乗るのが早いようです。本当は普通電車で広島くらいまでのんびり乗車して、それから新幹線に乗りたいと思っていたのですが、そんなことをしているととんでもなく時間がかかるようです。
結局普通電車でトンネルをくぐって小倉駅に戻り、小倉から新幹線に乗って帰りました。