日本ボロ宿紀行

ボロ宿にあこがれ、各地のボロ宿を訪ねています。

2012年02月

「ボロ宿」というのはけして悪口ではありません。
歴史的価値のある古い宿から単なる安い宿まで、ひっくるめて愛情を込めて
「ボロ宿」といっています。自分なりに気に入った、魅力ある宿ということなのです。
もともと、できるだけ安く旅行をしたいということから行きついた結果ではありますが、
なるべく昔の形を保って営業している個性的な宿を応援していきたいと思います。
湯治宿や商人宿、駅前旅館など、郷愁を誘う宿をできるだけ訪ねて、
記録に残していくこともいずれ何かの役にたたないかなと‥‥。

歴史に彩られた瀬戸内の島を訪ねる [周防大島 我が島荘(前編)]

松山から周防大島に渡るという企画は、周防大島の伊保田港に船が寄港しないため、変更を余儀なくされました。

本土の柳井に渡り、そこから周防大島に戻るようにバスで島に渡る作戦。

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松山の三津浜港を出た船は、なかなか立派な船でした。

ラウンジ風の客席や、雑魚寝もできるフロア席。しかしあまり客はいなくて、こんなに空いていて利益は出ているのでしょうか。

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しばらくするとすぐに周防大島が見えてきます。周防大島は正式には屋代島というそうで、瀬戸内海では淡路島、小豆島についで3番目に大きな島なので、遠くからでもすぐにわかります。何といっても民俗学者・宮本常一氏の故郷として有名。彼はこの島での昔の暮らしについて、いろんな著述で紹介しています。

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ほかにも大小の島がたくさん並んでいる諸島海域。これなら小さな船でも本土と伊予方面の交通は何とかなりそう。昔から交流があったことが実感できます。

さらに進んでいくと、船は周防大島と、隣接する情島の間のせまい水路を通っていきます。

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この情島が、本当なら町営渡船で渡ってみたいと思っていた島でした。その昔の映画「怒りの孤島」の舞台。古くからこの島の漁村では伊予方面から子供を雇ってきて、漁の下働きをさせる風習がありました。それが終戦後の自由主義的な時代背景の中で、一方的に児童虐待と見なされ、問題になったという実話をもとにしています。昔の農家が、食わせられない子供を他郷に出すというのは全国的にあった話ですが、ここも同じようなことが行なわれていたのでしょう。

映画を見たことはありませんが、あまり事実に即しているとはいえないようです。実際のところどんな状況だったのかはわかりません。しかしひとつだけいえるのは、現代の感覚で当時の営みを裁くことはできないということです。

この情島が現在ではどんな感じの島になっているのか。ぜひ寄ってみたいと思っていました。そのほか周防大島付近には沖家室島とか、浮島とか、笠佐島とか、いくつか興味深い小さな島があり、宿もありそうだったのですが、時間も足もないので、今回はあきらめることにしました。

とにかく柳井まで行ってからだとたぶん島に到着するだけでやっとなので、そんな時間はとれそうにありません。

船が周防大島の北側を回っていくと、上陸予定だった伊保田港付近の集落や、今日の宿になると思われる集落、小さな島などがたくさん見えます。

そして本土と周防大島をつなぐ大島大橋をくぐって船は柳井港に到着しました。お昼頃だったと思います。

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ここから周防大島に行くバスも出ているはずでしたが、調べると夕方までありません。最寄駅の「柳井港」から山陽本線で一駅の「大畠駅」まで行くと、バスの本数が多いようです。

おなかがすいているのですが、このへんに飲食店は見当たりません。大畠まで行けば何か店があるかと思って、とにかく柳井港駅へ。

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かなりさびれた感じの駅です。次の列車までの時間も、特に時間をつぶせるような要素はありません。

しかたがないので、ホームのテントウムシが、コンクリートの割れ目に落ちないかどうかを見張りながら時間を過ごしました。

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列車がようやく来て、これに乗りこんで隣の大畠駅へ。大畠駅付近に近づくと商店や飲食店らしきものも少し見えました。

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周防大島に渡るバスは1時間くらいあとに出ます。その間にお昼を食べようと思って、駅の隣の海鮮料理屋に行ってみると、すでに廃業していました。

駅前には、背後に仏像を背負った宿を発見。こういう宿もおもしろそうです。

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駅に貼りだしてあった地図を見ると、線路に沿って商店街がありそうなので行ってみました。

しかしこんな感じ。

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どうも、お昼を食べるような店はあまりなさそうです。

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ついでに踏み切りも渡ってみました。するとすぐに海。この後バスで渡る大島大橋も見えました。

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駅正面にもどり今度は逆方向にいってみると、コンビニ発見。このまま島に渡っても、食事できるかどうかわからないので、こうなったらコンビニでなにか買っておこうと思いました。今日の宿は素泊まりなので、夕食も何か考えておかなければなりません。

しかしコンビニに入ってみると「リニューアルのため本日から休業」。一応店は開いていて、少しばかり商品がありました。

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ここで大きな「山賊むすび」というおにぎりを1個購入。これさえあれば最悪の場合でも、何とか今夜を過ごせるというもくろみです。

やがてバスが来て、大島大橋を渡りました。とにかく足がないのでバスと徒歩だけが頼り。島を見て回るにも限界があるのが残念です。

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バスでは例によって一番前に座りました。島に入って「久賀」という大きな集落のバス停に止まると、運転手さんが声をかけてきました。「お客さんはどちらまで?」

それでふと後をふり返ってみると、数人いた客は私だけになっていました。私はとりあえず宮本常一氏の生家に近い、道の駅「サザンセトとうわ」をめざすつもりでした。確実にお昼が食べられそうなのは、道の駅ではないかと狙っていたのです。そこで「サザンセトとうわという道の駅に行きたいのです」と答えました。

「それだとバス停は長崎か下田あたりですね。まあ、そこまで行ったら私が声をかけますから大丈夫です。ここまで早く着いちゃったので時間調整をしていますけど、もう少ししたら発車します。あまり早く行くと、この先のお客さんが困りますから(笑)」ということした。

ついでなので尋ねてみました。「実は今日泊まるのは“我が島荘”という民宿ですが、道の駅からだとどれくらいありますか」

すると運転手さんは「そうですね~、あそこは道の駅から少し戻った丘の上にあって、2kmくらいですかね~。そこも通りますから、通る時教えますよ」といってくれました。これで安心。2kmくらいなら十分歩いて行けそうです。

車中で「こんな時期に来る觀光客というのも少ないでしょうね」と聞いてみると、「いや、この前も終点まで行くというお客さんを乗せましたよ。それで次のバスで戻って、浮島に渡るといってました。お客さんも浮島に渡るなら、「土居」というところから船が出ています」と教えてくれました。

やがてバスは「長崎」というバス停に到着。道の駅を教えてもらい、バスを降りました。

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親切な運転手さんの乗ったバスが去って行き、一人残されると何となく心細い気分。

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道の駅はけっこう大規模で売店などもいろいろありました。裏側には展望デッキみたいなものもあり、海や小島の風景がきれい。しかし客の姿はほとんど見当たりません。2階に食堂があったので、ようやくお昼を食べることができました。もう3時過ぎくらいになっていました。

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今日の夜は、宿で「山賊むすび」を食べることにして、ここでは豪華なサザエつぼ焼き定食。少しは島にきた気分が出てきました。

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さて4時くらいになり、寒いし疲れたしで、もう宿に向かうことにしました。途中、バスの運転手さんに教えてもらったので宿の場所はわかっていますが、歩いてどれくらいかかるのか。まあのんびり行くことにしました。

周防大島は、島にあったいくつかの島が合併してできた大きな町で、集落がいくつかあります。本土に近い西側にも大きな街があるのですが、バス便は少ないし、特にこの東側のほうはバスが少ない感じ。やはり足がないと効率的に動くのはなかなか難しいです。

歩いていると廃墟のような変な定食屋発見。「限定20食。サラリーマン定食750円」と出ています。こんなのがあるのなら、こっちで食べてもおもしろかった。

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長崎という集落はまさに宮本常一氏の生まれたところです。彼の本を読んでいると、昔はもっと東のほうに村の中心があり、その西はずれに分家してきた家だとか。当時は人家などはほとんどなかったそうですが。

目の前に「真宮島」や「我島」も見えます。

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宮本氏の本では、我島と真宮島が鳥のねぐらで、夕方になると一応お宮の森に集まって、それから沖の島に帰っていくのが壮観であったと書いてあったような気がします。

そのお宮らしき八幡様の鳥居もありました。このお宮についてもいろいろ話があるのですが、これから歩くことを考えると大変そうなので、上って参拝するのはやめておきました。

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通りに面した「周防下田駅」。駅とはいっても要するにバス停です。

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日が落ちかけてますます寒くなってきました。向こうに見える丘のあたりに宿があるはずです。もうすぐ。

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それにしてもこのへんは古い家が多く、なかなか風情がありました。昔とはまったく変わっているのでしょうが、路地などに入り込むと、それなりに懐かしい雰囲気も残っています。

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それとみかんの皮がやたらと落ちています。

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この島はみかんの有名産地なので、無人販売もたくさんありました。

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ようやく宿に到着。この宿は道路に面した飲食店を経営しており、その裏に宿があります。電話した時に、「今飲食店を休んでいるので食事は出せないけど、素泊まりなら受けられる」ということでお願いしました。

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声をかけると女将さんが出てきて部屋に案内してくれました。「今日のお食事は何か用意してありますか。もし買い物したいなら、コンビニまでクルマで送りますけど」といってくれました。しかし私は「山賊むすび」を持っている上に、すでに長崎の酒屋で地酒のワンカップを買ってきたので、「必要なものはすべてそろっているので大丈夫です」と答えました。

意外なことに民宿棟はきれいで新しく、ロビーはカフェみたいな作りになっていました。ほかに客はいないみたいです。

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ここからの眺めもきれい。正面に見えるのが「我島」らしいです。

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部屋も広くてきれいで、入口付近には近代的なバスルームやトイレもそろっていました。すべて共用の古い民宿とは大違い。

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ベランダもあり、部屋からの眺めはすばらしい。真冬の夕方なのでいまイチですが、たぶん夏なら最高の立地ではないでしょうか。

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私は今夜別にやることもないので、とっととふとんを敷きました。

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やがて日が落ちてきました。しかし島に帰る鳥の姿は発見できません。

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3時過ぎにお昼を食べたのですが、7時くらいに「山賊むすび」を食べて、地酒を飲みました。

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何だか季節外れの島に来てしまって、かなり寒々しいというか、寂寥感を感じます。明日は東京に帰るしかないのですが、翌日の計画を検討。昼間のうちに集めた観光マップを見ながら、バスでも寄れるようなところはないかと調べながら、いつのまにか寝てしまいました。

またしても長くなり過ぎてしまったので、この続きは次回(後編)に回します。

[周防大島  我が島荘](2012年1月宿泊)
■所在地  周防大島町大字西方25-1
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創業110年。全焼から再建した港の真ん前の宿 [三津浜 浜本旅館]

正月早々、松山に仕事で行く用事ができました。せっかくなので一泊くらいしようかと思ったのですが、去年も道後温泉に泊まっていて、今回は少し違う企画を考えてみました。それは松山の三津浜から出ているフェリーに乗って、周防大島に渡ってみようという企画です。

周防大島は旅する民俗学者・宮本常一氏の故郷。瀬戸内海の島の中でも大きな島で、古い歴史を持っています。だいぶ前から、一度はいってみたいと思っていた島です。漁業や農業の営みだけでなく、海賊の勃興、毛利時代の戦いや幕末の長州征伐など、さまざまなできごとの舞台ともなった島。確か高杉晋作の奇襲作戦もこの近くだったような‥。そんな興味深い島の歴史を感じてみたいというもくろみでした。

松山からのフェリーに乗ると、周防大島の伊保田港からは、周辺の小さい島に渡る町営渡船も出ているそうで、そんなのに乗って小さな島を訪ねてみるのもおもしろそう。

そんなわけで、とにかく松山で仕事が終わったら三津浜近くに一泊し、翌日周防大島に渡ることにしました。今回、そんなに時間はとれない感じでしたが、とにかくまずは一歩上陸してみよう、という作戦でした。

そこで三津浜近くに一軒だけ発見した「浜本旅館」を予約。フェリーターミナルのすぐそばで、翌日周防大島に渡るのにすごく便利そうです。

当日はとりあえず松山空港から、バスで市内へ。今回はまず松山市駅に行って、だいぶ前にも寄ったことがある食堂に入りました。かなり寒い日だったので鍋焼きうどんを注文。

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仕事が終わったので夕方、三津浜近くをめざしました。市内電車で古町という駅まで行き、ここで伊予鉄道の高浜線というのに乗り換えます。

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この駅は軌道線と鉄道線が入り組んだ不思議な構造になっていて、乗り換えのシステムがよくわかりませんでしたが、とにかく何とか乗車。三津駅をめざします。

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三津浜港にも割と近く、予約した宿はここから歩いていけそうなところにあります。

三津駅に到着。駅舎は意外にハイカラな感じでした。

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駅の内部もなかなか雰囲気があります。

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しかし駅前には古そうな商店や、由緒のありそうな商店街も。

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だいたいの方向の見当でこの商店街に入ってみました。

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それなりににぎやかそうな通りなのですが、シャッターが目立ちます。

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脇の路地には歓楽街らしき雰囲気も。

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このあたり、古くて立派な家が目立ちます。

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なかなか高そうな鯛めし屋もありました。

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渋い町並みを歩いているうちに港に出ました。

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三津浜港というのは、古い歌に詠まれている「熟田津」であるといわれています。このへんから額田王が船出したのでしょうか。

熟田津に
船乗りせむと月待てば
潮もかなひぬ
今は漕ぎ出でな

なんちゃって。万葉のみやびな王女が詠んだ古歌に対して、平成の下品なオヤジが思いをいたす──。それもまた「いとをかし」といえないものかどうか。

いずれにしてもこの日は寒くて、月を探すどころではありませんでした。

宿は港のすぐ近くに立地。

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あまり情報がない中で、もっと古い宿をイメージしていたのですが、意外に新しい建物です。民宿みたいな感じ。隣はお食事処になっています。

ハートマークのウェルカム看板も(笑)

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ピンポンを押すとおばちゃんが出てきて、すぐに2階の部屋に通してくれました。「食事はいつでもできる」ということでしたが、先にお風呂に入れてもらうことにしました。

部屋も新しくきれい。仕事で泊まるのに十分な設備・備品が整っています。

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さっそくふとんを敷いて、気が向いたらいつでも寝ることができる体制を準備。

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6時くらいから食事にしてもらうことにして、まずお風呂へ。お風呂は普通の家庭用よりやや広めで、なかなか快適なお風呂でした。

時間になって1階の食堂に行くと、すでにおばちゃんが待ち構えていました。要するに「お食事処  はま路」のスペースが食堂になっており、宿泊客もそこで食べます。お食事処は今はやっていないみたいでした。

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夕食はこんな感じ。イカの刺身や煮魚、エビなどがそろって、なかなか豪華です。ごはんと味噌汁はあとにして、ビールを頼みました。

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なまこ酢があるのがいいですね。これがいいつまみになりました。

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そうしているうちに、もう一人若い男性客が来て、やはり飲み始めました。常連さんみたいでした。

出ているおかずを食べながらビールを飲んでいると、さらに追加で焼肉登場。

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そうなると、かなりのボリュームです。おばちゃんはテレビを見ながら、民主党の岡田さんの人相が悪くなったとか、ちょうどこの時広島で囚人が脱走したニュースをやっていたりして、いろいろコメントをしていました。なかなか話好きな人のようです。

おばちゃんは「今は松山も大街道とか銀天街が中心になっているけど、昔はこの港のあたりが一番の繁華街だったんだよ。今は商店街も寂れてしまったけれど、昔は映画館もあったし、向こうには遊廓もあったくらいだから」と自慢していました。今は産業構造や交通状況が変わりましたが、確かに重要な港の近くなので多くの人が集まる中心地だったのでしょう。

最後にごはんを頼むと「ふつうのごはんとカレーライスができますけど、どうしますか」といわれたので、せっかくなのでカレーライスを頼みました。しかし、私はこの前日、家でもカレーライスを食べたばかりだったし、おなかもけっこういっぱいだったので、「ほんの少しでいいです。小盛りにしてください」と頼みました。

おばちゃんは「はいはい」といってましたが、しかし、私の願いは無視。

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めいっぱいの大盛りが出てきました。

こういうものは残すのも悪いので必死で食べました。こんなにいろいろ出ると知っていたら、ビールを抑えておくべきでした。

おなかが苦しいので早寝。

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翌朝も寒い日で、四国の松山といえば温暖だと思っていましたが、やはり1月は寒いということが実感されました。

朝食も同じ食堂へ。

朝食を食べながらおばちゃん(この家の女将さん)に、いつ頃からやっている宿なのが聞いてみました。すると、かなりの古い歴史を持った宿だということがわかりました。

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女将さんの話によると、宿の開業は110年前。もともと松山の沖にある中島に渡る船便を創業したという由緒ある家だとか。しかし古い旅館の建物は、平成に入ってからもらい火で全焼。近くで天ぷらなんかの揚げ売りをしていた屋台の火の不始末から出火して、どうしようもなかったそうです。並びの家が9軒焼けたということです。

そして建て替えて、改めて営業を継続しているのが現在の「浜本旅館」だそうな。そうとわかると、古い宿が焼けたのが本当に残念です。

女将さんは「私はこの辺の出身ではなく、砥部から嫁にきたのです。長く続いた宿を私の代でつぶすのは親に顔向けできないと思った。息子はこんな小さな宿をやっても中途半端でもうからないといってましたけど、とにかく続けるしかないと思った。金融公庫からお金を借りるのにも大変だったけど、やれるだけはやったので、何とか許してもらえるのではないか」といっていました。

許すも許さないも、こんなにがんばっていたら、たいしたもんです。

砥部の農家で生まれ育った幼少時代。小さい頃は山の中の小学校に通うのに魚などを入れるトロ箱を持って坂道をのぼっていき、帰りはそれをソリにしてすべって帰るのが楽しかったそうです。「でも時々私が林に隠しておいた箱を勝手に使ってすべる子がいてね~」と懐かしそうに話します。

おとうさんは宮大工だったそうですが、農業もしていて、肉牛、乳牛のほか、農作業用の牛も飼っていたそうです。「小さい頃は牛に草をやると、牛がもぐもぐ食べるのがおもしろくてね。牛の食べ方はかわいくておもしろいので飽きなかった」といいます。

そのほか「池でどじょうをとって近所のおっちゃんに持っていくと小遣いをくれた」とか、いろんな昔の想い出話をしてくれました。農作業も手伝ったそうです。

「子供でも働いたよ。一人でやると大変な作業でも、友達みんなを集めて分担してやる。そういうふうに仕事をうまく手配するのが得意だった。今でもそのおかげで足腰はしっかりしているよ」といっていました。確かに女将さんは小柄ですが、姿勢が良くて背中が伸びており、用があると走るように飛び出していくなど、すごく元気です。若く見えましたが実際は70歳を超えているとか。

私は「そんな山の中から港の宿にお嫁に来たということは、誰か世話をする人でもあったんですか」と聞いてみました。

すると女将さんは「いや、職場結婚」という意外にハイカラなこたえ。「伊予鉄の観光バスのバスガイドをしていて、夫は運転手をしていたのです」ということでした。

息子さんや実家の兄弟も、家業がある一方でいろいろな仕事をしており、あまり詳しく書くのもまずいとは思いますが、要するにそれぞれ立派な地位にあって元気に働いているそうです。

なかなかおもしろい話ばかりで、もっと聞いていたかったのですが、船に乗る都合もあるのでしばらくして出立することにしました。

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といっても港はすぐ前。フェリーターミナルも徒歩1分くらいのところにありました。

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窓口に行って、午前に出る船で周防大島の伊保田港まで行くチケットを買おうと思っていたのですが、「今、船がドッグに入っていて、伊保田港には寄りません」という返事。私は意味がよくわからず、「そうすると何時の船なら寄るんですか」と聞き返しました。しかし「今日から1週間、すべての船は伊保田港には寄りません。柳井港直行になります」という衝撃の返事。

私はこの日、周防大島の民宿を予約してあったのですが、島に渡れないとなるとどうすればいいのか。

少し落ち着いて作戦を考えようと思い、窓口のおっちゃんにちょっとタイムを告げて、待合室の椅子に座って考えました。

いろんな手が考えられます。まず今回は周防大島をあきらめ、宿をキャンセルして、松山からそのまま東京に帰るという手。あとは別ルートで別の島に渡ってみるという手。さらにはいったん本土の柳井まで渡り、そこからバスなどで周防大島をめざす手。このルートだとすごく遠回りすることになりますが、周防大島には本土から橋がかかっているので、たぶん本数は少ないにしても、バスで行けるはずです。

結局、とにかく周防大島にたどりつくことだけを目標に切り替え、島のいろんな場所は見学できなくても、「とにかく島に行くだけは行って、一泊して帰ろう」と決めました。

いつもきちんとした計画を立てず、ろくに調べないで出かけるのでこういうことになります。

出航までには少し時間があり、船もまだ着いていませんでしたが付近を少し歩いてみました。そこの看板を見ると。確かに特別ダイヤの注意書きがありました。

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いまさら「ご注意くだいさい。」といわれても。まあ、自分が悪いのですが。

窓口のおっちゃんに「じゃあ柳井まで1枚」といってチケットを買い、何とか柳井経由で周防大島上陸をめざすことにしました。本当にたどりつけるのかどうか、不安でいっぱい。

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ということで、この続きは次回にします。

[松山  浜本旅館](2012年1月宿泊)
■所在地  愛媛県松山市三津1-4-10
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弘前城に至近。登録有形文化財の宿 [弘前 石場旅館(後編)]

弘前の石場旅館の続きです。

お城などを見学して、暗くなってから宿にもどりました。

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隣の教会がライトアップしているのが見えます。行ってみるとクリスマスみたいな雰囲気。

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この夜は「温泉につれていく」といわれていたのですが、それは遠慮して内風呂へ。ご主人は「もし良かったら朝の5時くらいからやってますから、朝でも送っていきますよ」といってくれました。結果的に朝はバタバタしていけませんでしたが、次の機会にはぜひ温泉にいってみたいと思います。

しかしこの家の内湯もなかなか広くて、ゆったりしたいいお風呂でした。しかし気温が低いせいか湯気がすごくて、写真は撮れませんでした。脱衣所でもこんな感じ。

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この日はすごく寒い日でした。部屋の中は暖かいのですが、廊下に出るとすごく寒いです。

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食事は部屋で、最初に案内に出たおばちゃんが運んでくれました。

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貝焼きがあるのがうれしい。

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食事のあと、おばちゃんが「後でふとんを敷きにきます」というので、それも悪いので勝手にふとんを敷いてしまいました。

さて食事の後、近くのバーに行くことにしました。実はご主人が「宿泊のお客様には一杯サービスしてくれる店なので、石場旅館の客だといって入ってください」と店を教えてくれたのです。

そういうことであれば、何はともあれ行ってしまいます。しかしどうも入口がわからなくて迷ってしまいました。普通の家みたいな玄関に小さい看板が出ていたのでピンポンして「石場旅館の客です」というと入れてくれました。ちょうど他の客が帰るところでした。

何やら怪しい雰囲気のバー。最初は宿泊客へのサービスだというシングルモルトを出してくれました。


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後はバーボンを頼みましたが、なんだか飲んだことのない高そうなバーボンを勧められたので、それを飲んでみました。しかしやはりふだんから飲みつけた安い酒のほうがいいと思ったので、その後からはジャックダニエルに変更。

要するにこのバーは、会員制の秘密バーだそうです。つまり常連客かその紹介客しかきません。秘密の話があるような客、落ち着いて飲みたい客などが来るそうです。特別な会合に使う秘密の部屋も見せてもらいました。

地元出身のママはなかなか話がおもしろく、ほかに客もいなかったので、いろんな話をしました。市内に残る古い建築物の話とか。ちなみに弘前城周辺の古い商家には、昔は「南部藩のスパイではないか」という噂があったような店もあったそうです。そんな話が残っているなんて、さすが歴史のある城下町です。そのうち世代的に近いせいか、なぜか子供の頃に祭りで見た夜店の話になって、お化け屋敷とか、おどろおどろしい見せ物なんかの話で盛り上がりました。

そんなわけでかなり飲んだのでそうとう高くつくな、と覚悟していたのですが、勘定を頼んだら2000円だというので拍子抜けしました。やはり石場旅館の客だということで気をつかってくれたとしか思えません。普通の安いショットバーでも5000円するくらいは飲んだような気がします。

とにかく上機嫌で宿にもどると、ご主人はまだ帳場で起きていて「どうでしたか」というので、「いやあ~すっかり飲みすぎてしまって、しかも安いので恐縮しました」というと、「明日の朝、もし気が変わって温泉に行きたくなったら、朝からここにいますからいってください」といってくれました。やはりせっかくなので温泉につれていきたいみたいです。しかしたぶん早起きできないだろうなあ、と思いつつ寝てしまいました。

そんなわけで、やはり朝起きた時はもう朝食時間ぎりぎりでした。廊下に出てみると、朝刊と新しいお湯が置いてありました。すごく気配りのきいた宿です。

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窓を開けてみると、夜のあいだにまたも積雪が増えたような気がします。

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朝ごはんはこんな感じ。

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結局、この日は五所川原でストーブ列車に乗り、さらに青森経由で十和田まで行く予定だったので、早めに出発することにしました。出がけにご主人が「もっとゆっくりしていってください」といってくれたのですが、そういうわけなのでタクシーを呼んでもらいました。

このとき少し話したところ、弘前にはいろんな芸術・文化のグループがあり、活動が盛んなようです。そういえば昨夜のバーでも、しびれた頭で記憶が定かではありませんが工芸か何かの展示会のパンフレットをもらったような。それに古い喫茶店がかなり残っていて、通う客も多く、昔の喫茶店文化が残っているそうです。

ぜひまたゆっくり泊めてもらいたいと思って宿をあとにしました。弘前市内観光もお城以外はほとんど見ていないので、再訪したいと思います。

さてJR の弘前駅まで行き、ここから五所川原をめざしました。

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弘前駅には市内の古い建築物の模型がたくさん展示してありました。新しい新幹線も。

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弘前から五所川原までは途中で五能線への乗り換えがありますが、けっこう近いです。

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五所川原から津軽鉄道で金木をめざしました。私は2年くらい前にもストーブ列車に乗って金木まで行ってますので、今回は再訪。

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行きの電車は普通の電車に乗りました。電車の中では女性の車掌さんが地図をくれ、「金木に行く」というと、いろいろ見どころを教えてくれました。

金木では例によって斜陽館に向かいます。しかし途中で太宰治が疎開していたという家があり、そこに移築された斜陽館の離れみたいな部屋を公開していました。せっかくなのでちょっと入って見学。なかなか雰囲気のある部屋でした。

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斜陽館もあいかわらずでかい。ここはひと頃は宿をやっていたのですが、ぜひとも泊まってみたかったです。残念。

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帰りはいよいよ待望のストープ列車に。

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前に乗った時にお酒を買わされてしまったおっちゃんがあいかわらずいました。今回は自主的にお酒とスルメを購入。スルメは若くて美人の車掌さんが手早く焼いてくれます。「軍手を二重にしているけど、やっぱり熱いっちゃー熱い」といってました。

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さすが「奥津軽トレインアテンダント」。

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さらに五所川原にもどったあとは、前にも寄った駅前の「平凡食堂」を再訪。

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ここも健在で、あいかわらずおっちゃんが一人でやっていました。われわれは熱燗を頼んだほか、ラーメンと鍋焼きうどんを注文。ちょっと貧相な雰囲気はあるのですが、やはり懐かしい感じの味で捨てがたいものがあります。

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ここから青森駅まで行くのにもいろんな手があるのですが、食堂のおっちゃんにきいてみると「みんなバスで行く。電車はあてにならない」ということでした。30分に1本とか、それくらいひんぱんに青森行きのバスが出ているそうです。所要時間については「まあ、この時期だと1時間半みておく必要がある」ということでした。何を聞いても的確な答えが帰ってくるなかなかただ者ではないおっちゃんでした。

そういうわけなので、ちょっと付近を散策したあと弘南バスの待合所へ。とにかく寒い日なのでストーブがありがたい。けっこう大勢の客がいました。

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ここにも立ち食いそば屋があり、なかなかそそるものがありました。特に「じょんがらそば」500円に興味を持ちましたが、いまラーメンを食べたばかりなので今回はあきらめました。

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そしてバスに乗車。青森駅に着いた時はもう暗くなりかけていました。

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さらに青い森鉄道に乗り換えて三沢駅へ。かなり長い移動距離になりました。

ここで十和田観光電鉄に乗り換えるのですが、この鉄道は今年廃線になることが決まっているそうで、おそらく最後の乗車機会。また三沢駅の駅そばも存続するのかどうかわからないので、まだあまりおなかがすいていませんでしたが、無理やり食べてきました。

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寒い冬の夜なので、よけい侘しさを感じます。しかし捨てがたい風情を持った駅。

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こんなのがなくなるなんて本当に残念です。とにかくようやく十和田についたのはもう夜の8時くらいになっていました。

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[弘前  石場旅館](2011年12月宿泊)
■所在地  青森県弘前市元寺町55
■楽天トラベルへのリンク→石場旅館
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弘前城に至近。登録有形文化財の宿 [弘前 石場旅館(前編)]

弘前の石場旅館といえばボロ宿業界では有名な由緒ある宿であり、私としては以前から機会があれば泊まってみたいと思っていました。明治12年創業で弘前城にも近い古格を感じる宿だとか。いわゆる安宿ではありません。こういう名旅館はちょっと敷居が高い感じがしていましたが、しかし泊まってみたい気持は抑えきれず、試しに電話してみました。

そうすると意外に若いにいちゃんが電話に出て、料金体系を説明してくれました。素泊まり料金に加えて夕食の料理によっていくつかプランが選べます。また朝食も付けたり付けなかったり、自由に選択できます。非常に明解な料金システムになっています。私は常に一番安いプランを選ぶのですが、その場合8000円ちょっとでした。

そんなわけで、今回は秋田から弘前に回り津軽鉄道で金木まで行くという企画を立てている中で、弘前の石場旅館はそのハイライトともいえる重要イベントと位置づけていたわけです。

途中、大鰐温泉にも泊まりたい気持がありました。大鰐温泉には今では珍しい客舎形式の宿があり、そういう宿にも泊まってみたいと思っていたのです。しかし今回はスケジュール的な事情で大鰐温泉では乗り換えるだけで、客舎には泊まらないことに決定。

鷹巣からの奥羽線普通列車は、雪のため遅延していて、ダイヤは乱れていました。この日、まれにみる大雪が津軽、秋田地方で降り続いており、雪に慣れた地域とはいえ、けっこう大変なことになっていました。

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大館から弘前に行くのにも、そのまま弘前に行く手もあれば、大鰐温泉から弘南鉄道に乗り換えていく手もあります。今回はとにかく大鰐温泉駅で降りてみました。

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大鰐温泉駅も、昔のにぎわいからすると寂れているのでしょうか。ちょったした商店やおみやげ屋はありますが、ちょっと寂しい感じ。しかしワニの像がありました。

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こういうオブジェで媚びるような観光化には、私は否定的です。せっかく古い湯宿があるのですから、そのままのイメージを大切にしてほしい。しかし私の意見はしょせん少数派ですので、仕方がないことなのでしょう。

ここでせめてお昼ぐらいは食べていきたと思い、店を探すとすぐ駅前にありました。「山崎食堂」。この時期、大鰐温泉の名物は温泉熱で育てたモヤシだそうです。モヤシラーメンを食べました。

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モヤシもおいしかったですが、ラーメン自体が素朴な味付けでおいしかったです。東京にあったら、毎日食べにいくのに。

このあと弘南鉄道で弘前に向かいます。質素な駅。

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乗り込んで大鰐の観光パンフレットなどを眺めていると、謎の女性がいきなり話しかけてきました。「観光ですか?  今の時期だとモヤシラーメンがおいしいですよ」などと。モヤシラーメンなんか、今食べてきたばっかりで、何をいまさらいうのかと思っていたのですが、いろいろ話していると、どうもこの女性は弘南鉄道の車掌さんのようでした。一見して気がつきませんで失礼しました。観光案内をしたり、お年寄りの世話をしたりいろいろ働いていました。

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それで「これから弘前に行く」というと、弘前の観光マップをくれました。古い洋館などが多いそうで、いろいろ見どころを教えてくれたので、そういう知識がなかった私は大変助かりました。このマップも大変役に立ちました。

「吊革がリンゴをかたどっているんですよ」とか。

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こういう地域の鉄道もいろいろ工夫をこらしていますね。本当にがんばってほしいです。

弘南鉄道・弘前中央駅に到着。

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この日も雪が断続的に降っており、少し風があるため寒さもひとしおでした。駅前でコーヒーを飲み、いろいろ考えましたが、まずはお城の近くにある石場旅館に荷物を預け、それから市内散策をしたらいいのではないかという結論に至りました。

まだ2時前だったのですが宿に電話すると「チェックインはまだできないけれど、荷物はいつでも預かる」ということでしたので、とにかく歩いて宿に向かうことにしました。

そんなに遠くはないはずのですが、雪が激しく降ってきたせいで、宿までいくのは大変でした。土手町という繁華街も通ったのですが、みんな傘を斜めにさしながら無言で歩いています。

こんな感じだとお城を見学するのもちょっと無理かな、と思いながら宿に到着。

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やはりかなりいい感じの宿です。

つららがすごい。

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声をかけるとおばちゃんが出てきました。「いやあ、荷物を預けようと思ったけど、この天気なので、もう入ってしまおうかな。いいですか」と聞くと「ああ、いいですよ」といって2階の部屋に案内してくれました。

もうすでに入り口付近から部屋に向かう階段に到るまで、すごく古そうでいい感じの宿です。

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よくも今まで保存してくれたものとうれしくなるような宿でした。

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宿への意見、苦情は投書箱へ。

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部屋も古いとは思いますが、ストーブも暖かく、設備も近代化していてなかなか快適です。窓は中庭に面していて、すごい積雪があったことがわかります。

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部屋でお茶を飲みながらおばちゃんと話してみると「弘前も雪が多いところで、1月、2月ならこれくらい降るけれど、12月にこんなに降るのは珍しい」といってました。

ちなみにこのおばちゃんに「女将さん」と呼びかけると「私は女将さんではなく手伝いです。この宿は今、若主人がやっております」ということでした。

とにかく雪がすごいのでこのまま夕食まで引きこもろうと思っていたのですが、少しすると外が明るくなり、雪がやみました。そうなるとせめて弘前城くらいは見学したい気分になってきます。

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下に降りてさっきのおばちゃんに見送られ外に出ました。帳場には若主人もいて「家にも風呂があるけれど、もし良かったらあとでで近くの温泉まで送っていく」といってくれました。かなり若いご主人でした。それもいいな、と思ったのですが、とにかくそれは後で考えることにして、お城見学へ。雪が積もって歩きにくいですが、弘前城は宿からすぐ近く。高さもあまりないので、すぐに到着しました。

途中、津軽為信と思われる像も発見。

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弘前城のお堀は凍っていました(笑)

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歩いているうちに再び雪がひどくなってきて、天守あたりではもう豪雪状態。それでも数人の觀光客が見物していました。

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写真ではわかりにくいですが、このへんではそうとうすごく降っています。

私はお城の北門を出たところにあるという古い商家を見学したいと思っていたので、このあと大雪が降るなかを北門方面に向かいました。

これが北門。

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門を出るとすぐに古い大きな家がありました。これが代々続く商家です。

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今でも酒屋をやっているようで、店に入って「見学したい」というと、「今はあまり片づいていなくて、土間だけなら見せられるけど」というので、100円払って見学することにしました。

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中に入ると薄暗くて大きな土間に面して座敷があります。土間と座敷の天井はひたすら高い。というか天板はなく、屋根組が見えていたような。囲炉裏では炭ではなく薪を燃やしていました。本当に昔のままのたたずまいのような気がします。

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ここのおばちゃんが「本当に昔のままなんですよ」というので、「いやあ、本当にうらやましい。いい家ですね」というと、「あんまり古くて住むのはいろいろ大変だ」といってました。そうでしょうね。でも雰囲気のあるいい家でした。

この近くにいろんなおみやげを売っている大きな売店があり、そこにも寄ってみました。結局ここでは地酒を買って、宿に戻ることにしました。このへんでもうだいぶ暗くなってきました。

あとは宿に戻ってお風呂に入り、夕食を食べたのですが、そのへんの話は次回にまわします。


[弘前  石場旅館](2011年12月宿泊)
■所在地  青森県弘前市元寺町55
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山中のマタギ集落で近代的・快適な温泉ホテルに泊まる [打当温泉 マタギの湯]

角館から秋田内陸縦貫鉄道に乗る。これが年末ツアーの大きな目的のひとつでした。別に鉄道マニアではないのですが、秋田県内でも山深い地域であるこの沿線には、マタギ集落がいくつかあるそうで昔から興味がありました。

マタギとはいったい何なのでしょう。東北地方に伝わってきた伝説の山猟師たち。独特の文化や狩猟技術を持ち、その子孫にはオリンピックのバイアスロン選手までいるとか。以前、信越国境の秋山郷を訪問した時には、昔は秋田のマタギが苗場山まで狩りにきていたという資料も発見しました。

語源も定かではなくアイヌ語起源ではないかともいわれています。また私が前から関心を持ってきたサンカとの関係はあるのかないのか?

とにかくそんな秘境を訪ねてみたい。通るだけでも通ってみたい。そんな気持で秋田内陸線にあこがれていたわけですが、今回はちょうどいい機会だったので、内陸線のどこかで宿泊できる施設を探しました。

それで決定したのが「打当温泉  マタギの湯」です。私の勝手なイメージとは違い、立派な温泉ホテルのようですが、ほかにあまり候補がなかったのでここにしました。田沢湖まで戻って北上すれば、乳頭温泉とか玉川温泉とか有名温泉はいくつもあるわけですが、今回はあえてそこを外し、秘境に乗り込んでみることにしました。

角館を出たのは昼過ぎくらい。角館の秋田内陸線の駅はJR駅と隣接しており、地元中学生たちが時間待ちをしていました。

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この日はまれにみる大雪が降り続いており、ホームも寒そう。

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乗り込むと、鉄オタ鉄道ファンらしき夫婦が写真を撮りまくっているのに遭遇しました。地元民も多く、意外と利用者数が多い鉄道のようです。車中では、女性の車掌さんが沿線の観光ガイドなどをくれました。

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途中、田んぼや畑の風景から雪山の風景に変わっていき、1時間ほど乗車。長いトンネルを抜けるとそこが阿仁マタギ駅でした。

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駅にはマタギのおっちゃんが登場するJRのポスターも。

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阿仁マタギは小さな駅で、ホームに待合室があるほか、格別な施設はありません。階段を降りたとこに出入り口があり、雪かき道具もそろっていました。

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見渡す限り、雪景色しか見えません。

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駅から宿に電話すると、5分くらいで迎えにきてくれました。

打当温泉周辺は「マタギの里」として観光開発されていて、冬でなければ熊牧場などもあるのですが、この時期は雪に埋もれてひっそりしていました。

しかし宿はかなり立派な近代建築。

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こんなのがお出迎え。

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入るとロビーには熊のはくせいなどが展示してあり、それなりの雰囲気づくりをしています。

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靴を脱いであがるところの注意書き↓  私ももともと東北人なので解読可能(笑)

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ロビーにも熊がいました。

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囲炉裏の休憩室にも熊の敷物が置いてありました。

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廊下もきれいで明るく、2階の部屋も設備の整ったいい部屋です。

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2階から見たロビー↓

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こんなにいい部屋だとあまり秘湯感もなく、マタギ集落という神秘性も感じません。ただ、窓からの雪景色がすごい。こんな雪深いところで暮らすためには、やはり冬山に適応した生活技術が発達するのは無理もないと思いました。

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フロントで「今日はこんな天気ですけれど、隣のマタギ資料館には館内を通って行けますから、もし興味がありましたぜひご覧になってください」といわれていました。

そこですぐに資料館へ。

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ここもずいぶん剥製がありました。ほかにマタギが使っていた道具の展示や、マタギの歴史などの解説。ここにもマタギの家が再現されていて、やはり囲炉裏と熊の敷物がありました。

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あとはやることもなく、外出もしようがないので、とにかく風呂へ。大浴場は湯気であまりうまく写真が撮れませんでした。露天風呂は雪のせいか使用中止になっていました。

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そういうわけなので、下の写真は宿のHPからお借りしました。

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大浴場以外に貸し切りの家族風呂がありました。フロントに申し出ると空いていれば無料でいつでも鍵を貸してくれるというシステム。

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ここも小さいながらきれいなお風呂でしたが、とにかくお湯が熱くて、私は3秒くらいしか入れませんでした。

まあそんなことをしているうちに夕食の時間になりました。夕食も囲炉裏で熊鍋なんかを食べると気分が出るのですが、残念ながらきれいな食堂です。

食事自体はこんな感じ。

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注目はウサギ肉の鍋。

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さらに馬肉の煮付け。

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あとは普通でしたが、なまずの刺身というのがちょっと珍しいかもしれません。私は初めて食べました。

この日は部屋で角館で買ったお酒を飲み、温泉にも何回か入ってみました。館内に人影は少なく、ちょっとしみじみした気分もありましたが、やはり近代的清潔ホテルであるせいか、私としてはあまりワクワクする要素もなく、すぐに寝てしまいました。

翌日の朝食も同じ食堂。特に変わったものは出なかったです。

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この日は秋田内陸線に再び乗って終点の鷹巣まで行き、ここから奥羽線に乗り換えて弘前方面に向かう予定。

フロントで聞いてみると、そういう計画なら10時前くらいの内陸線に乗らないと、あとは本数がなくて昼近くまで列車がないということでした。

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そこでその電車に合わせてクルマで駅まで送ってもらうことに。フロントの方にはいろいろお世話になりました。本当にありがとうございました。

少し早めにロビーに行ってみると、一人旅の男性も一緒でした。それがこの人。

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札幌まで帰省する途中、モノ好きにも内陸線を経由してみることにしたそうです。人のことはいえませんが。やたらいいカメラで写真を撮っていたので鉄道マニアかもしれません。

駅から見ても、あいかわらず周囲は雪だらけです。すごいな~。

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内陸線からの景色もやはりなかなか迫力があります。

すごい峡谷があったり。

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しかし、意外に大きな集落もありました。「あにあい」。

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「阿仁前田」には温泉のある駅も。

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途中「笑内」と書いて「おかしない」と読むとか、どうも日本的でない駅名、地名が目につきました。やはりこのへんも昔はアイヌが住んでいたからなのでしょうか。よくわかりません。

やがて周囲が開けてきて人家も増え、1時間半くらいの乗車で鷹巣駅に到着。

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なかなか渋い駅でした。例の札幌の男性はこのひとつ手前の「西鷹巣」で降りていきました。なんにもない駅のように見えたのですが、そこにも何かモノ好きを惹きつけるものがあるのでしょうか。

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鷹巣駅はJR駅と隣接しています。

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駅前の通り。

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昭和の駅前商店街という雰囲気があって非常にいいです。しかし乗り換えにあまり時間がないので、JR駅の待合室で少し時間をつぶすことにしました。ただ、雪で電車が遅れており、少し町を歩くくらいの時間は結果的にはあったわけですが。

鷹巣駅のホームには大きな太鼓がありました。このへんの名物のようです。

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そんなわけで奥羽線の大館行きに乗り換え、さらに乗り換えて大鰐、弘前方面に向かったわけですが、その話は次回にします。

[打当温泉 マタギの湯](2011年12月訪問)
■所在地  秋田県北秋田市阿仁打当字仙北渡道上ミ67
■泉質  ナトリウム・カルシウム-塩化物泉
■楽天トラベルへのリンク→打当温泉「マタギの湯」
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プロフィール

もんすけ

 古い湯治宿や駅前旅館など、日本が高度成長時代に入る前からあったような雰囲気の宿が大好きで、各地を回っています。
 どこにいってもそれなりに立派な宿が多く、個性的なボロ宿に出会うことは少なくなりました。
 10年、20年前ならもっといろんな宿が残っていたと思いますが、しかしいま現在でも、10年後、20年後に比べたら多くの貴重な宿が残っているはずです。そうした宿を記録に残していけたら、と思っています。

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