ゴールデンウィークに酒田から東鳴子温泉、さらに松島、塩釜あたりと東北地方を回ったのですが、その直後に、今度は仕事で気仙沼に行く用事ができました。
せっかくなので気仙沼で一泊しようと思っていたのですが、市内の宿は満室で取れず、しかたがないので気仙沼から大船渡線で20~30分一ノ関よりに行ったところにある千厩という町にある宿を予約しました。
気仙沼に泊まれないのは不便ではあったのですが、このあたりも一度ゆっくり訪問してみたいと思っていたところです。これまで何度か大船渡線に乗る機会があり、途中の「摺沢」とか「千厩」という駅前が山中にも関わらず妙に人家が多く、古そうな建物が多いことを不思議に思っていました。
なぜこういうところに大きな町があるのか。この機会にその秘密を探ってみようかと。
ただちょっとネットで調べてみると、このあたりも震災後のボランティアの拠点になっているようで、気仙沼とか南三陸、大船渡あたりで働く人が、大勢泊まっているような気配でした。
しかし千厩の「勢登屋旅館」という宿に電話してみるとあっさり素泊まりで頼むことができました。どんな宿かはまったく情報なし。
気仙沼を夕方6時発の電車に乗って千厩駅に到着。もう暗くなりかけていました。
駅前はこれまでも車窓からみたように大きなロータリーになっていますが、実際に営業している店はほとんどなし。タクシーは何台かいました。駅から歩いて何分くらいなのかわかりませんでしたが、駅からの1本道に沿った旅館だし、そんなに遠くはないだろうと思って歩き始めました。
歩き始めて思いましたが、どうも古い街道みたいな雰囲気です。昔の宿場だったのかどうかわかりませんが、たぶん古くから栄えてきた交通の要衝みたいな雰囲気です。
素泊まりなのでどこかで食事もするつもり。宿には到着は遅くなるといってありました。
しかしどうも飲食店が見当たりません。ようやく10分くらい歩いたところに中華料理屋発見。もう選択する余裕はないと見て、すかさずここに入りました。
中は普通の中華料理屋さん。ビールと餃子とラーメンで食事。すごくおいしいシンプル系ラーメンでした。
店を出るともう真っ暗でした。さらに歩き続けましたが、なかなか宿が見つかりません。だんだん不安になってきました。
人通りはまったくなく、たまにクルマが通りかかる程度。根本的に道をまちがえているのではないかと心細くなったりしましたが、その可能性は少ないとみて、ひたすら歩きました。
ついに宿を発見。駅からまっすぐ歩くと15分か20分程度だと思いますが、すごく遠く感じました。
外観はそんなにボロくないですが、さびれたいい雰囲気です。
宿に入って「こんばんは」と呼ぶと、おっちゃんが出てきて2階の部屋に案内してくれました。部屋に荷物を置くと、おっちゃんが「先にトイレとかお風呂を案内しますから」というので、そのあとをついていきました。
廊下には明かりもなく、真っ暗。階段の電気は接触が悪いのか、ついたり消えたりしていました。
「このあたりは地震の被害はなかったんですか」と聞くと、「まあ、揺れたけれどそんなに大きな被害はなかった。でもここらでは古い蔵がずいぶん崩れたね。うちも壁がひび割れたりね」
確かに壁がひび割れて少し崩れた跡も残っていました。
お風呂は「入りたくなったら、いってくれればすぐ準備しますから」というので、「もう食事もすませたし、すぐに入りたい」というと、「じゃあ10分くらいで入れますから、特に呼びには行きませんが、入ってください」ということでした。
改めていったん部屋に戻ると、なかなかの部屋です。これはけっこうすごい。
テーブルもありますが、このテーブルにひじを乗せて体重をかけてやれやれと思っていると、テーブルの脚が相撲の股割のように開いて、次第に沈んでいきます。あわてて体を起こしました。
やっぱり白黒。白黒でも星野監督が不機嫌そうなのはわかる(笑)
そのほか何の備品もなし。歯ブラシやタオルなんかもないのですが、そのへんは予想していたので特に問題はありません。しかしハンガーもないので、スーツをタオルかけにかけるなど、いろいろ苦心しました。
お風呂は普通。お湯もよく出ました。ほかの客がいないと思ったので、風呂からでがけに開けっ放しでタオルで体を拭いていると、工事のおっちゃんらしき2人がトイレにきて「こんばんは」と挨拶していきました。パンツだけでもはいていてよかった。
宿のご主人の話によると、この宿は確か昭和24年といっていたと思いますが、戦後まもない頃の創業。その後岩手国体の開催に合わせて大規模な補修をしたそうですが、岩手国体っていったいいつのことでしょうか。
料金の確認をしていなかったので、最初は素泊まりで3000円か3500円くらいか、と思っていたのですが、このボロさだと、2000円台もありうるな、と思いました。
まあ、私としてはすごく気に入ったので、お風呂のあとは部屋でのんびりすごしました。
早めにふとんに入って翌日の計画を考えたり、テレビを見たり。翌日は宮城の白石に泊まる予定だったので、それまでどこに寄ってみようか、などなど。そんなことをしているうちに寝てしまいました。
明け方、驟雨の激しい音で目が覚めました。「雨だとすると、どこに行くにしても面倒だな」と思いましたが、すぐにあがりました。
明るい中でみると、かなり古い宿だということがわかります。ちょっと大きそうな部屋をのぞいてみたら、いい部屋でしたが布団部屋になっていました。
朝食も頼んでいないので、8時台の電車に乗るために早めに宿を出ることにしました。
料金は3000円でした。出掛けにおっちゃんと話してみました。
私 「戦後すぐの創業ということだと、この宿はご主人が始められたんですか」
おっちゃん「いやいや、うちのばあちゃんが始めた。私はまだその頃はまだ子供だった」
私 「あっ、やべっ失礼しました。そりゃそうですよね。でもこのあたりに、なんでこんなに大きな町があるんですか」
おっちゃん 「ここは一関と気仙沼をつなぐ街道の拠点で、東磐井郡の中心地だったんですよ。昔はタバコの一大産地でね。それと繭だね。そういうことで通行する人も多かった。今はバイパスができてしまったけどね」
私 「それにしても、こんないい雰囲気の通りが残っているなんていいですね」
おっちゃん「子供の頃は本当によかったよ。クルマなんて通らないし、にぎやかな通りだったんだ」
私 「知らないでくると、いきなり大きな町があるんでびっくりしますよね」
おっちゃん「そういえば、つい5月の初めに“夫婦岩サミット”がこの千厩であって、全国から人が集まったんだよ。千厩にも、ここから駅に行く道沿いに大きな夫婦岩があるから、見ていくといいですよ。それは大きいもんだよ」
そんなことを教えてもらい、名残を惜しみつつ宿を出ました。久しぶりの見事なボロ宿だったので、うれしくてしょうがありませんでした。
宿を出るとすぐ向かいにも宿がありました。「旅館こんけい」。こっちは少し洗練された感じかも。でもなかなか良さそうです。
昨夜は暗くてわかりにくかったですが、外観はきれいなタイル貼り。駅まで歩く通りには、やはり古い風情のある家が多かったです。
路地にもつい入ってしまいたくなるような趣が。
ここは元は旅館か料亭でしょうか。現在は商売をやめているようでした。これが宿で、営業していたならぜひ泊まってみたかった。
のどかな川も流れていました。
地元中学生が「おはようございます」と挨拶をして通り過ぎていきました。私にもあんな純真な頃があったのに‥。
途中で夫婦岩も発見。なかなか見事なやつなので驚きました。“夫婦岩サミット”なんて、まったく知りませんでした(笑)。なんとなくおごそかな感じなので、思わず拝んで、さらに駅に向って歩きます。
古そうなだんご屋さんもあって、すでに店を開けていました。こんなのがあるということは、やはり街道筋ならではかも。
駅前に到着。ちょっとミスマッチな像と廃業した店舗群が、過去の繁栄を伝えています。
10分くらい前に改札にいくと駅員さんが、「ここのところだいたい遅れますけど、もう入りますか」というので、「入って待ちます」といってホームに向かいました。東京までの普通乗車券を買ってあったので、乗り降り自由自在。
のどかな駅風景です。気仙沼で宿が取れなかったおかげで、前から気になっていた古い町に寄ることができました。古い街道の雰囲気を残した、本当に趣のある町でした。
[千厩 勢登屋旅館](2011年5月宿泊)
■所在地 岩手県一関市千厩町千厩字町25