またも古い話しになりますが、秘境といわれる秋山郷の切明温泉を訪ねたことがありました。泊まったのは秋山郷の最奥に当たる「切明温泉・雄川閣」でした。
ここを訪ねるきっかけになったのは、江戸時代の文人で「北越雪譜」で知られる鈴木牧之が書いた「秋山紀行」です。
秋山記行・夜職草 (東洋文庫 (186))
著者:鈴木 牧之
平凡社(1971-01)
販売元:Amazon.co.jp
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この本によると、交通の便が極端に悪い秋山郷はまさに秘境の趣があったということで、平地のない隔絶した山奥に、いくつかの集落が営まれていた様子が報告されています。民俗学的にもひところは注目されていたエリアでしたが、最近はけっこう観光開発も進んでいるようです。
焼き畑で作った稗や粟を主食とし、小豆やこんにゃくの根、木の実や川魚を取って命をつなぐ生活は非常に貧しく、厳しい土地柄に適応するために、古い遺風や独特の生活様式が残されてきた秘境。その姿が明治以降もかなり残っていたといわれています。例によって、平家の落人伝説も残っています。鈴木牧之が残した絵図面が残されており、この地図でだいたいの地理的な感覚を知ることができます。
こういう土地であるならば、もはや当時の面影は残っていないにしても、ぜひ一度は行ってみたいという好奇心で出かけました。場所としては信越国境にまたがる形で谷が形成され、新潟側と長野側に双方に集落があります。苗場山と鳥甲山にはさまれた狭い渓谷で、私が訪問した当時もかなりの難所でした。ただ道路はすべて舗装されており、バイクで十分に行くことができました。デジカメも持っていきましたが、なぜかあまり写真が残っていません。紛失したのかもしれません。
この時は、東京から行くと遠回りになりますが、まず新潟側の津南町方面から南に向かって秋山郷をめざしました。途中、見玉不動というお寺があり、ここまでは平坦な道で、ここの茶店で休憩しました。
この茶店で「平家の谷~信越の秘境 秋山郷」という本を見つけました。あとでじっくり読んでみたのですが、この本は昭和35年に発刊された本を昭和52年に復刻したのもので、近代以前から昭和初期あたりの秋山郷のようすが紹介されていました。
冬場は3メートルを越す積雪があり、無医村であったため、重病人を戸板に乗せて運んだ話し、過去の歴史の中で、飢餓によって何度も集落が滅びた話しなどが紹介されています。死人が出ても5月までは弔いもできなかったそうです。「秋山紀行」で鈴木牧之が泊まった民家は、集落の中でも裕福な家だったようですが、それでも食事の貧しさ、夜具のとぼしさなどに驚いたという話しが出ています。
下は昭和初期ぐらいの民家だと思います。写真は「秋山郷観光協会」のHPと、国立民俗学博物館のHPからお借りしました。近世以前だと、柱や床のない土間造りの広間型が多かったようです。
もちろん、私が訪問した時はそんな状況とは大きく変わっていたわけですが、途中の崖沿いの国道はかなり狭いヘアピンの連続で、舗装されているとはいっても道が荒れていてバイクをあまり寝かせることもできず、相当ゆっくりと走りました。途中から雨もポツポツと降ってきて、人家も途絶えたため心細かった覚えがあります。峡谷はかなり深く、苗場山を裏から見る景色も印象的でした。
「雄川閣」は実際に着いてみると、ちょっとロッジ風の新しい立派な宿でした。(財)栄村振興公社が運営する公共の宿です。ですから、あまり建物自体に秘境感はなく、ロビーなどは民芸調になっていましたが、まあきれいで設備の整った宿です。
ここで有名なのは裏の川原を自分で掘って入る露天風呂です。宿でスコップを貸してくれます。実際に行ってみると、掘るまでもなくすでに誰かが入った跡がたくさん残っていて、湯加減を調整すれば、けっこうそのまま入ることができます。
宿にも露天風呂があり、下の写真のような感じ(雄川閣HPからお借りしました)。私はこの露天に入った記憶がないので、当時はなかったのかもしれません。
内湯は下の写真のような感じです(これもHPからお借りしました)。
客室は普通の和室なのですが、夜になると蛾や蚊がものすごく部屋に入ってくるので困りました。「さすがに秘境の虫は強力だな」などと思ったのですが、20匹くらい退治したところで、あまりにおかしいのでよく調べてみると、高い天井の天窓のようなところがモロに開いており、そこから自由に虫が入ってきていました。それを閉めて、ようやく安眠することができました。
食事はあまり印象に残っていませんが、食堂で食べる非常に素朴な内容だったと思います。なぜか朝食しか写真が残っていません。夕食には「今日採ってきたやつだ」という山菜がたくさん出ました。
昔は栃の粉を溶いた汁を食べ、稗や粟などが口に入れば贅沢だという土地柄です。それに比べれば、ずいぶん豪華な食事内容です。
翌日はさらに厳しい山道を通って奥志賀方面に抜けました。道路が通れるかどうか宿の人に聞いたのですが、どうもよくわからないという感じでした。「奥志賀公園栄線」という道ですが、結果的には志賀高原に抜けることができました。自然のままのようなきれいな渓谷と、山の木々がトンネルのようになった幻想的な道で、まるで夢でも見ていたような感覚。どれくらいかかったのか、どんな思いで走ったのかといった記憶はあまりないのです。
その後、現地の様子はだいぶ変わってしまったことと思いますが、ほかにも「和山温泉」、「屋敷温泉」などの有名温泉があり、ぜひ再訪してみたい場所のひとつです。
[切明温泉・雄川閣](2004年8月宿泊)
■所在地 〒949-8321 長野県下水内郡栄村切明
■泉質 カルシウム・ナトリウム‐塩化物硫酸塩泉