喜楽旅館の後編です。

部屋に案内されて、おばあちゃんと少し話しをした後、とにかくまずはお風呂に入ってみることにしました。夕食は6時半とかそれくらいからで、「ふだんは2階の食堂だけど、一人分だから部屋に持ってきましょうかね」と、いうことになり、「ひと風呂浴びてきたらちょうどいいでしょう」というのででかけました。電話で予約したときに「うちはタオルも何にもないからね」といわれたのですが、浴衣はあったので、着替えて風呂に向かいました。

通された部屋は戸を開けると、目の前がすぐに水場という便の良さ。この日は群馬から来たという昔からの常連客が一人滞在していて、使ったお茶の葉を捨てたりするためにここまで何度も来ていました。

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またも例の廊下を通ってお風呂に向かいます。この1階部分は、谷の崖に密着したような感じで建っているため、上のほうに明かりとりの窓があるだけで、ほとんど外光が入りません。夕方でも照明をつけていますが、それでも薄暗い感じ。深夜、ひとりで歩くのはけっこう怖いかもしれません。

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お風呂は下の写真のような感じ。夜中、誰もいない時に撮影。木製の2つに分かれた浴槽の雰囲気は「雲海閣」にもやや似ています。温泉成分のせいかかなり古びていますが、風情のあるいい雰囲気のお風呂でした。

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夕方には5人くらいの地元おっちゃんたちがいて、「こんにちは」といって入っていくと、みんな「こんにちは」とあいさつしてくれました。私は温いお湯が好きなので、2つの浴槽のうち「温いのはどっちだべか?」と聞くと、奥の浴槽に入っていた2~3人が「ああ、こっちです」といって少しスペースをあけてくれました。

なかなかいい感じの温さで長湯できそうです。もうひとつの浴槽に手を入れてみるとかなり熱かったです。ここの温泉はもともと30度程度の鉱泉ですから沸かしています。浴槽に注ぐ蛇口のうちひとつは沸かした熱い源泉で、もうひとつは沸かしていない温度の低い源泉。これを自由に開けたり閉めたりする手動式のオーバーフローで、いずれも源泉なのでうめても温泉が薄くならないというのがいいです。

一泊してわかったのですが、熱いお湯の蛇口を開けると、すぐに全体的に熱くすることができます。だいたいひとつの浴槽を熱め、もうひとつを温めというように、客が勝手に調整しているようです。窓から見える小川と周辺の新緑、その向こうに見える大きなホテルの廃墟などが、なかなかいい眺めだったのですが、明るいうちはお客さんが多く、写真を撮れませんでした。

お風呂からあがってしばらくすると、おばあさんが食事を運んできました。


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食事もなかなかのもので、けっこう意外。そのうえ、右上のれんこんのはさみ揚げの下に何とお刺身が隠されていました。けっこうおいしいやつでした。

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さて、この宿の自動販売機にビールが置いてないことは入浴時に確認してあったので、おばあちゃんに「ビールかお酒はありますか」と聞いてみたところ、おばあちゃんは「あっ‥」といって固まってしまい、「うちは最近、そういうものは‥‥」とうろたえているのですが、要するに置いてないということでしょう。そうと知っていたら、何か買い込んでおくべきでした。


すると廊下の向こうからご主人の声が。

ご主人「なに、ビールが飲みたいの~?」
私 「できれば」
ご主人「なに、350でいいの~?」
私 「はい」
ご主人「なに、銘柄はなんでもいいの~?」
私 「はい(本当はこだわりがあるけど、このさい何でもよい)」

声が聞こえなくなり、去っていく気配がしたので、おばちゃんに「ビールがあるっていうことなんですかね?」と聞くと、黙ってうなづきながら微笑みました。夕食にあたって、たとえ350ml1本でも、あるかないかの差は大きい。

ちょっと食事をつまみながら待っていると、ご主人が350mlのエビスビールを2本持ってきました。「これでいいかな。まあ1本でも2本でもどうぞ」というので、「じゃあ2本」といってご主人の手から2本奪取。

「俺が飲もうと思って冷しといたやつなんだけどね‥‥」というのですが、こっちとしては知ったことではないとばかりに、容赦なく2本とも奪い取りました。ビール確保に必死。今から思うと、「一緒にどうですか」と誘えば良かったと反省しております。

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このとき、ご主人とはじめてゆっくり話をしました。

「俺はここの息子だけど、後を継ぐつもりはまったくなかったんだ。でも10年くらい前に親や兄弟に続けざまに不幸があって、俺がやるしかなくなった。俺が60、ばあさんが80で、俺も足が悪いもんだからあんまり長くは続けていけないな。とにかくばあさんがやるといううちは、続けていこうと思ってるんだ」ということでした。まるで徳川吉宗のような運命の変転があったようです。

そういう状況なので、なかなか思うように宿泊客を受けることもできず、今回は一人常連客の滞在があったので「1人も2人も同じだから」私を泊めることにしたようです。

「お客さんはどこか具合が悪いのかい?」と聞かれたので、「あえていえば、昔からアレルギー性の肌トラブルがあるといえばあるんですけどね」と答えると、「うちのは、効くよ~」と不敵な笑みを浮かべました。泉質にはすごく自信を持っているようです。ご主人自身があちこちの温泉をまわってきたそうですが、「いろんな泉質があるけども、まずうちのお湯が一番いいと思う」ということです。

もともとは東京で会社勤めをしていたそうで、私の住んでいるあたりにも詳しいようでした。私のデジカメを見て、カメラの話もけっこう盛り上がったのですが、何と17台のカメラを持つマニアだそうです。

温泉の経営はなかなか厳しく、温泉成分が強いために、客室のテレビも1年でダメになり買い換えているそうです。私は「もともとお湯が目当ての人はテレビなんかあってもなくてもいいんだから、テレビなしの宿にしたらどうですか。実際にそういうところはけっこうありますよ」というと、「それは知ってるけども、やっぱり、今どきテレビがないというのもねえ。ありうるとしたら、広間に1台だけ置いといて、そこに来て見てもらうとかね」

いろいろ大変なようです。それにしても長話の間、ビールをすすめもせず、申し訳ありませんでした。

寝たくなったら、ふとんを自分で敷きます。蛍光灯のひもが延長されていて、寝ていても消灯できるというのは、なかなか便利。昔はけっこうどこの家でもやっていたものですが。

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深夜も何度もお風呂に入り、女性用の浴室も密かにチェックしてみましたが、男性用と向きが違うだけでまったく同じでした。とにかく夜中にひとりで独占していると、つくづくいいお湯だな~と思いました。好きなだけ源泉を出すことができるし、那須では珍しく飲泉もできるようになっています。


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翌朝も早くからお風呂に行くと、常連客とご主人がすでに入っていました。浴槽のひとつはお湯をためている途中で、かなり熱い状態。ご主人「毎朝、入れ換えてるんだ。そっちはまだ熱いんじゃないかな」といって、自分も入浴しながら湯加減をみています。

「どうだい肌の調子は?」と聞かれて、確かにお肌がしっとりつるつるしていることが実感できたので、「いやあ、いつになく感じがいいです」というと、「そうだよ、1回入るだけだってそれなりに効果があるんだよ。もし時間があるんだったら、昼頃までいたってかまわないんだから、ゆっくり入っていけばいいよ」といってくれました。

ご主人が去ったあと、例の群馬から来たという常連のおっちゃんは「ここに来るのは3年ぶりくらいかな。ここも前はもっと混んでいて、だいたい浴槽に浸かっても足も伸ばせないような感じだったけどね。何にでも良く効くけど、飲むともっといいよ」と絶賛しておりました。

その後、朝から近所の人らしき立ち寄り客もきましたが、その人がいうには「だいたい地元の人間は、ここか雲海に行くね。やっぱりお湯がいいですよ。弱アルカリでね。鹿の湯は飲めないしね。昔は鹿の湯のお湯が強くて、肌がただれたりした人が、ここで少し仕上げて行くような感じだったね」

そうすると、草津温泉における沢渡温泉、四万温泉のような感じでしょうか。

朝食はご主人が持ってきて、「ごはんはそれで足りるかい」というのですが、足りるどころではありません。「いや、朝からこんなに食えませんよ」というと、「食うやつは朝からでも食うからね」と笑って、お膳を置いていきました。

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この日は朝のうちかなりいい天気だったのですが、お言葉に甘えてゆっくりしているうち、雷雨になりました。正午ごろにはけっこう降っていましたが、このままいると今日中に帰れなくなってしまうので、重い腰をあげました。荷物をまとめて母屋に行くと、おばあちゃんが一人だけいて、ご主人は「今、ちょっと買い物に出た」とのこと。請求書を見ると、ビールは1本250円で付けてありました。商売っ気なし。晩酌用のビールを奪ってしまい、まったくすまないことでした。

ちなみに母屋の入り口の左側に、地下洞窟に向かうような謎の階段がありました。この下には源泉口があるそうです。

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「ご主人によろしく。また来ます」といって、宿を後にしました。

このあと、近くのバス停には行かず、雨の中を少し下の一軒茶屋まで歩くことにしました。いつも寄っているキングハムの直売店でハムを買うためです。2kmくらいでしょうか。バイクやクルマならあっという間です。でも実際に歩いてみると思ったより遠く、風雨は強いし、車道のクルマはガンガン飛ばしていくので水がかかるし、泣きそうでした。

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ようやくキングハムに付くとほとんど小降りになっていたのは皮肉な感じ。ハムを買い、黒磯駅行きのバスを待って乗り込むと、またまた雷が鳴り、土砂降りになってきました。黒磯駅到着時には最も雨足が強くなり、バスは駅入り口に付けてくれたのですが、乗客はみんな必死に走って駅に飛び込んでいました。

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今回、念願かなっての1泊の滞在でしたが、思った以上にいいお湯で、何よりもご主人とおばあさんのへだてのない対応のおかげで、すっかりくつろぐことができました。ぜひとも近いうちに再訪したいと思っています。

[老松温泉  喜楽旅館](2010年6月宿泊)
■所在地 栃木県那須郡那須町大字湯本181
■泉質 不明(硫黄性の弱アルカリ泉と思われる)
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